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48. Nとの再会とオーボンヴュータンのアイスケーキと (東京日記)
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その日は久しぶりの東京だった。前日は、実家にいて、一日家に泊まったら、再び旅の中にあった。
Nが数日前から「薬疹になったの。酷くて、仕事も休暇をとったの」とメールを送ってきていた。
LINEに添付された写真をあけると、首元から手にかけては紫色や赤茶けた斑点がひろがっている。足はさらにひどかった。20代のN、すっと長い美しい足は、発疹でうめつくされて、思わず顔をそむけるほどだった。
高度をさげると、曇り空だ。羽田空港に到着し、マンションまでは40分。おそらく暗く沈んでいるだろうと思っていた。コンコンとドアを叩いて、出迎えてくれた彼女は、予想に反して、ひどく快活で、嬉しそうに弾んでいた。「とても暇だったの。仕事は1週間近く休まなきゃあいけないし、どうしようかと思っていたところだった」といった。お見舞いに買ったアメリカンバーガーの包みとゼリーの入ったペーパーバックをみて、笑顔がさらに輝いた。
部屋に入り、座卓を前にして座る。「発疹をみせて」とわたしが訊くと、Nは、長袖Tシャツを人差し指と親指の先でそっと、そっーとつまみ、そのまま肩まで上げた。赤い実のような小さな粒が、まだらに広がっていた。先端に、針ほどの毛がたっているものもあった。「脚も」というより前に、わたしのスカートの膝に、脚をなげてきた。
「こりゃ、ひどいね。こんな薬疹初めてみた」
お腹から太股、足首にむかって、本当にひどかった。こんな発疹が綺麗に直るのだろうか、と思った。「血液って下に落ちるでしょ。だから下になるほど、発疹は多くなるみたい」とNはわたしの眼をみて、笑った。
「でも、からだは平気よ。元気いっぱいで困っちゃうくらい」Nは5日間閉じこもっていたようで、どこかに、でかけたくてたまらないらしいのだ。
着替えをして、向かったのは、横浜までの東急沿線で、「尾山台」という駅で下りる。「あ、もしかしてあそこ?」「うん、そう」とNとわたしは、顔をみあわせて、うなずきあった。
「等々力」という名の駅には降りたことがあったが、尾山台は、全く初めてである。東急沿線によくある改札口ひとつの、小さな駅。下町と文教地がまざったような、とても親しみのある良い街に思えた。車通りの激しい道沿いに、その店はあった。
オレンジ色の店先テントには、ローマ字で「KAWATA」とある。見上げれば、ゼラニウムの鉢植えが並んでいた。パリの街角にある、洋菓子店の佇まい。フランス菓子作りのレジェントといわれる、あの河田勝彦さんの店だ。
河田さんが修行のために渡仏したのは1960年代。日本にない食材、調理法、表現を求めて、パリのみならず地方都市を巡り、滞在中にパン屋を含めて12店で勤め、同じ菓子でも店によって異なる材料やルセットを学んだと、確か料理王国の雑誌で読んだ記憶がある。現地の書店で文献を読み漁り、資料と舌を比べながら持ち帰ったのが、ここでみるフランス伝統菓子として結集されている。
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扉をあけて、なかに入ると、うわーー!と心の中、歓声があふれた。なに、これ。木目をいかした店内は明るく、天井には本物のシャンデリアが。ショーケースに並ぶフランス菓子、ずーっと見えなくなるまで長く続くのだ。女性客ばかりか、男性客も多い。近隣の奥様風の人から親子連れ、若い人まで。洒落感のある人が、頬に手をあてて真剣な目でショーケースを眺める。レジに並ぶ人も紳士風に見えるのは、異国のエスプリが漂っているがゆえの、マジック。焼きたての甘い香りよ!
焼き菓子、プティフール、チョコレートボンボン、量り売りのショコラ。ジェラート。そしてケーキのデコレーション。鮮やかな宝石にも似たそれは、アイスケーキだ!
「ヴァシュラン」(1,180円)は、バニラアイスとアプリコットのソルベに焼メレンゲを添えて、とある。赤い帽子型のアイスケーキは、「カルディナル」(1,180円)フランボワーズのアイス、パッションフルーツのムースグラッセ。茶色のこってりとしたムース「ディジョネ」(1070円)に、カシスのソルベ、洋なしのソルベ、カシスのムースグラッセとあった。確かに高いが、ぜひ味わってみたい。
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もう目が、ショーケースから離れてくれない。脳と舌と胃袋の距離がくーっと近づいて、いく。視覚から食べていく感じ。うっとり、お菓子の夢のなかに潜入してしまった。
洋菓子のコーナーの隣には、フランス惣菜のコーナーへと続く。ソーセージやキャロットラペ、パテ各種。煮込みスープや、リエット、パイ包み、ワインの煮込み。ワインに合う総菜がずらりと。カウンター式のバーコーナーまである。
よし、これを見たら、もう、パンやケーキを買って帰りましょうとは、いかないのである。20分待ちなぞに、怯むものか。店中のカフェテリア(コロナで縮小されていた)で、できたてを味わうことにしたのだ。
ギャルソン風エプロンの男性に席を案内してもらった。
まず、手始め。おいしそうな田舎風パテとソーセージを注文してみた。薬疹のNは、ワインを飲みたいところを堪えて、ペリエ。わたしは、白ワイン。そしてNはナスとトマトのポタージュを、愉しみに待つ。
隣席も、マダムと大学生風の女の子。上等なペーパーパックを5つくらいおかれているから、ショッピングの帰りなのだろう。贅沢にも、赤ワインやシャンパンを注文されて、香しい肉の匂いがすると思えば、シチューを召し上がられた風。ケーキや焼き菓子、アイスケーキとずらりとテーブルに並べて、すごい勢いで食べられている。母の耳には、大きなイヤリングの玉がひかっていた。ふーむ。
「こんなお店が近くにあれば、不意のお客様がきても困らないし、いいね」
「お隣、等々力駅でアサコイワヤナギさんのケーキをよく買いに行くよ」
これが世田谷区の日常だ。
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さて、登場したこちらが、田舎風パテ。外枠が固いパイ生地で、中はグリーンアスパラがのぞく。肉の舌触りと香りも上品なものすごく旨いパテだった。ダイナミックかつ、繊細な食べ応えのある肉質だ。赤ワインも、フランス料理店も顔負けの果実味のあるうまいものが出た。
こうなれば、プータンノワールのソーセージやハーブ入りソーセージなども欲しくなる。濃厚で、肉の旨味がしっかりと残り、まるでバスクのソーセージをかじっているといってもいい。一口ごとに、幸せだ。
背中のガラス越しには、日本車ばかりが流れているのが不思議なくらいである。ここはどこ? さすが美食の店が集う、東京!と感嘆した。
Nは、控えめにペリエのソーダー水を、のんでいた。これもそうとう美味しかったよう。
デザートには、アイスケーキとカプチーノで。Nは、きれいなデコレーションの生ケーキ。一口味わうや、「クリームの香りが違うわ、なめらかー!」と声をあげて、褒めちぎっていた。ああ、無理をし、仕事をやりくりをし、東京を訪れて心からよかった、としばしの至福を噛み締めた。
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いよいよ、憧れのアイスケーキが来た。バラ色のスポンジに、カシスのソルベ。大粒のストロベリーがのっていた。さわやかなメレンゲの風味がなめらかで香りがよく、舌うえに、冷たーいフルーティーな甘さ。ケーキなのに、ひんやりとして、口溶けを静かに楽しむ。「わーー、もう一つ追加オーダーしたい」恍惚とした感動を覚えながら、口にスプーン運んだ。
Nの顔に発疹がないことをこれ幸いに、お見舞いにやってきたということは、この時、頭からはすっかり消えていた。
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そして。季節は移ろい、あらたしい季節がやってきた。玄関のチャイムが鳴り、急いでマスクをし飛び出していくと、宅急便のお兄さんがなにやら贈り物を持っていた。送り主はN。包みを開く。
はからずも、今日はわたしのバースデーだ。
素晴らしい晩餐とするため、わたしは翌週の日曜日、神戸でリネンのテーブルクロスを新調した。
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