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唯一無二の贅沢スイーツ「おじいちゃんの小麦まんじゅう」の思い出を書き残す。

せいろを買おうか迷っている。

近ごろ、食事がテキトーになりがちだからだ。

食べるのは好きだし料理も嫌いじゃないのだけど、本を読んだり映画観たり、その感想書いたり、SNS更新したり、なんだりかんだり。

何かに集中するとなかなか切り替えられない性分で、そういうとき、食べるのをつい、後回しにしてしまう。

気づいたときには耐え難いほどの空腹で、とりあえずパッと食べられる卵かけご飯やインスタント食品、悪いときはスナック菓子なんかを手当たり次第に食べてしまうことも。

よくないよねえ〜。

ということで、手軽に美味しく、野菜やタンパク質を食べる手段として、せいろ蒸しに行きついた。

せいろは、丁寧なくらしやヘルシーな生活を送る人の必須アイテムというイメージがある。

インスタとかでも、せいろを使った簡単レシピがよく出てきていて、どれも楽チンで美味しそう。

これは試してみる価値ありだよなあ〜たぶん。

……などと考えていたら、ふと実家の台所の光景が脳裏に浮かんだ。

金属製の蒸し器。
ふたの隙間から漏れ出るほかほかの白い湯気。
その湯気には、たっぷりの潤いと穀物が蒸されたホクホク甘い香りが含まれていて、台所のほっこり指数をマックスまで高めている。

蒸し器の前に立っているのは祖父だ。

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祖父は昭和ヒトケタ年の生まれの男性にしてはとても珍しく、料理が好きで、しかもめちゃくちゃ上手だった。

料理を生業にしていたわけじゃない。
役場の職員ひと筋だ。

でも祖父は、マメに、本当にマメに、よく料理をした。

節分には自らイワシを焼き、頭を串に刺して戸口に飾った。

初午につくってくれる「すみつかり」は大根とニンジンと大豆に、柚子の皮が散らしてある“なます”だ。正直あまり好きじゃなかったけど、のちに古くから伝わる郷土料理だったことを知った。

春になると、どこからか摘んできたよもぎを使ってよもぎ餅をつくっていた。和菓子屋のものより美味しかった。


魚をさばくのもお手のもので、夏にはコイのアライや生イワシの酢味噌がけを食べさせてくれた。

それに、梅干し、梅酒、梅シロップづくり。
梅仕事はなんでもやっていた。


秋にはサンマを家族の誰よりも早く買ってくる。
丁寧に焼いて、必ず大根おろしを添えた。
中秋の名月には上新粉の団子と、どっかの土手で刈ってきたススキを窓辺に備えていた。

冬になると、醤油ベースのけんちん汁がよく食卓にあがった。わたしは味噌派だったけど、おじいちゃんの大好きなおばあちゃんが醤油派だったのは知っていたので、言わないでおいた。


年末にはポータブルなかまどを庭に設置して、薪をくべて火を焚きながらもち米を蒸し、杵と臼で正月用の餅をついた。

つきたての餅は触ったら最後、手の皮が即死するくらい激アツなのだけど、それを平気で素手で持ち上げて、臼からのし板にホイホイ輸送していた。

ついた餅はお供え用の丸餅、食事用の角餅、そして、おやつ用のかき餅になった。

年越しそばも、もちろん自分で打った。
祖父の蕎麦は餅とともに、親戚や近所に大量に配られた。母曰く、心待ちにしている人もいるくらい、評判だったらしい。


どの料理も、派手でも豪華でもない。
だけど仕事が丁寧だから、見た目は抜群に美しいし、味も安定して美味しい。

祖父の料理を通じてわたしは、食べ物の旬や歳時記を覚えたし、郷土の文化を知った。

いま考えると、めちゃくちゃ贅沢なものを、贅沢なしつらえで食べさせてもらっていたことが分かって畏れ多い。

ついでにもう一個すごいのは、おじいちゃんは後片付けも完璧なのだ。調理道具も調理場も、きれいに洗って拭き上げる。

そういえば包丁もよく研いでいた。
蕎麦屋の前を通るといつも、大きな蕎麦切り包丁を研ぐおじいちゃんの姿を思い出す。


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そんなおじいちゃんの料理に甲乙つけるのは忍びないのだけど、わたしが特に好きだったのが、せいろを使って蒸した「小麦まんじゅう」だ。

スイーツまで作れるって、うちのおじいちゃん、ほんとすごいでしょ。

おまんじゅうの大きさは直径10cmほど。

スーパーで売っているおまんじゅうと、『千と千尋の神隠し』で、千尋が苦団子の不味さを消し去るためにむしゃぶりついたおまんじゅうの中間くらいの大きさ。

まあまあでかい。
手づくりゆえのお得サイズ。

でも手づくりだからといって、その味を侮ってはいけない。

生地はフワフワと柔らかくも、素朴な粉感を残していて、ひと噛みごとに口の中が小麦の風味で満たされる。

あんこも手づくり。
なめらかだけど、水分は少なめで重量感がある。
口に入れると、優しいあずきの香りをふわっとただよわせながら、舌の上でじんわりほぐれていく。

あ〜食べたい。

社会人4年目までは実家に住んでたんだけど、このおまんじゅうをおやつとしてカバンに入れて出勤したことがある。

その日も例のごとく仕事で嫌な目にあって、社用車の中で泣きながら食べた。

あんなにやさしい、冷めてるのにあったかいおまんじゅうには、たぶん今もこの先も、世界中どこを探しても巡り会えないだろうなと思う。

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こんな風に、ふとしたとき、おじいちゃんの料理を思い出すことがある。

ひとつ思い出すと、芋づる式にほかの料理の思い出も引っ張り出されて、その味と、おじいちゃんのすごさを想って、あと、あ〜教わっておけばよかったなあ〜と後悔して、平均して5分くらい、泣く。

せいろを買って、作ってみようかな。
小麦まんじゅう。

野菜でもタンパク質でもないけど。
こころは慈しめる気がする。


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