藤井風は国民的歌手になれるか
大衆=最大公約数に好まれる要素
昨年末、紅白歌合戦への出演で、瞬く間に注目の存在となった藤井風。
国民的歌手、俳優、タレントといわれる芸能人に共通するのは、整ったルックスと品行方正さだけではない。
大衆に受け入れられるためには親しみやすさと、肩ひじを張らない自然体のユルさ、抜け感があることが大切だろう。
人気者になっても、お高くとまることがない庶民的なイメージも欲しいところ。あくまでイメージだが、仕事中はオーラ全開でも、もし街でバッタリ出くわせば、どこか素人っぽい初々しさと隙だらけの抜け感がある。
バッキバキにキメることもできる超絶イケメンなのに、どこか「あか抜けない」要素を残していることも重要だ。
気軽に声を掛けられそう(実際には物理的に不可能でも)な優しい雰囲気が漂うこと、「ご近所のお兄さん的存在」であること。これこそが老若男女、いわゆる大衆に好感を与え、受け入れられる最も大切なポイントなのでは、と感じている。
あえて残して、見せる「あか抜けなさ」
紅白歌合戦で藤井風が見せたのが、まさにこれだろう。
超絶技巧ピアノを弾くイケメンなのにラフな部屋着(に見える)衣装、ゆるふわ方言トークは鉄板だ。大物歌手に囲まれて立ち、どこか心もとなくニコニコしている様子も、ゲストや視聴者に親近感を与えたに違いない。
本人が自然となせるワザなのか、局とスタッフが考え抜いた演出なのかはわからない。だが、演出でも本能的なふるまいだとしても、好感度は抜群だったのではないだろうか。
キャラクターと経歴にも親近感
親近感のポイントは、持ち前のキャラクターと経歴にもある。
藤井風が地元の高齢者施設などで、演奏活動をしていたことはよく知られている。これは高齢化社会となった日本で、特に家庭や職場で介護や老人福祉に関わる人々には好印象でしかないはずだ。
彼は訪問先で演奏した後も、年配の方々に大人気だったという。音楽が素晴らしいのはもちろんのことだが、穏やかな話し方と優しいふるまいに、我が子や孫、甥っ子を見るように目を細める中高年が目に浮かぶ。
洗練された都会っ子とは異なる牧歌的なバックグラウンド
そして次に注目したいポイントは、藤井風が「生まれてから故郷を離れたこともなく」「留学や(撮影以外で)海外旅行の経験もない」「上京してからも方言を話し続ける青年」だということだ。
昨今の邦楽シーンには、アカデミックかつ恵まれた環境で生まれ育ったミュージシャンも少なくない。そんなインテリジェンスと芸達者たちが、しのぎを削る音楽業界と、生き馬の目を抜くような街、東京。
高校卒業後しばらくして地方から上京したものの、まだ方言の抜けない素朴な若者に見える藤井風。そして、ついにその彼が精鋭ミュージシャンたちと一緒に、紅白歌合戦という「国民的歌謡ショー」のステージでスポットライトを浴びて歌った。岡山県の小さな町で喫茶店を営むという、牧歌的な家庭で育った彼の活躍に心躍らせる人たちも多いだろう。
ピアノと身体だけで音楽が成立 身体性の高いパフォーマンスが強み
昨今の邦楽ミュージックシーンでは、ボカロPに代表されるようなテクノロジーを駆使した自己完結型アーティストの活躍が目立つ。
対して藤井風は、ピアノと身体さえあれば音楽が成立する。
紅白歌合戦での「燃えよ」弾き語りは身体性が高く、シンプルでごまかしの効かないライブパフォーマンスだった。
紅白歌合戦で大トリだったMISIA「Higher Love」のピアノ伴奏とコーラスにおいては、藤井風の伴奏者としての音楽性と、人間的バランス感覚の良さもよくわかった。
人と人とが関わることで生み出される音楽の醍醐味
出る所は出る、抑える所は抑えるといった基本的なことはもちろん、何よりバンド全体との調和が取れていた。ブラスアンサンブルとの呼吸もピッタリ、伴奏者やバックコーラスとしても絶妙な緩急の付け方でMISIAのメインボーカルを引き立て、ステージに華を添える。
新人ながら堂々とした演奏と、人と人とが関わることで生み出される音楽の喜びを全身で表す様子も好意的に映っただろう。
藤井風が幼少時より積み重ねた揺るぎないピアノの技術と、ボーカルでの表現力は特筆に値する。紅白視聴者は音楽界に地殻変動を起こしたともいえる革命児・藤井風の才能と可能性を、リアルタイムで目撃したのだ。
YouTube動画を通して彼の音楽と成長を見守ってきたファンの中には、映画を観ているような展開に、息を飲んだ人も多いのではないだろうか。
「何なんw」に見られる方言の歌詞がスタンダードになる時代は来るか
藤井風が岡山弁を使い続けることは、飾らず自然体でいる彼にとってはごく当たり前なことなのだろう。年明けのライブ配信も、洗い髪同然のスタイリングで登場し、実にリラックスした様子で行った。
たとえ紅白出場歌手となっても「これまでと同じ」「いつも通り」だとファンに向けてアピールしたようだった。
だが、ある意味、上京して時間が経っても方言を使い続けるのは郷土愛だけではあるまい。
アート・ミュージックシーンにおける東京至上主義や標準語、そして「都会の色に染まる事」に対する密かな挑戦だとしたら、どうだろう。
「何なんw」における岡山弁の歌詞は、リズムの収まりやノリ、グルーヴ感が秀逸だと音楽家の間でも大いに話題となった。
フレーズに上手く日本語を乗せることは、とても難しい。音楽経験はもちろん、天性のリズム感と言語的センスも必要だ。カッコ良さとダサさは、ややもすれば表裏一体で、誰にでもすぐ真似できることではない。
だが、もしかしたら藤井風が楽曲で岡山弁を使い続けることによって、方言を使った楽曲が、もはやスタンダードとなる日が来るかもしれない。
さらなる進化と挑戦、音楽的成熟に寄せる期待
彼と同じように地方から上京した人や、都会的なものに淘汰されること、均一化されていくことに疑問を感じている人にとっても、彼がこれからたどるであろう進化と成熟の過程は興味深いはずだ。
インターネットが普及した今、音楽の発信は世界中どこにいてもできる。とはいえ、まだまだ日本におけるマスメディアと文化の中心は東京だ。
洗練されたカルチャーやファッション、そしてエンターテインメント業界人たちとの交流を通して、藤井風は今後、どのように変容していくのだろう。
岡山にいながら、YouTube動画というプラットフォームを駆使して世界中に楽曲を発信し続けた藤井風。彼はSNSやウェブを介して徐々にファンを増やすという、従来のマスメディア先導型のプロモーションとは異なる方法で音楽業界に揺さぶりをかけている。
藤井風を支える河津マネージャーを筆頭に、スタッフの仕掛けるプロモーションは、タイミングと局面を慎重に見極めて動く。これからも彼の持ち味が尊重されつつ、音楽的にも成熟していくのを期待を込めて見守っていきたい。
画像引用:藤井風公式Twitter
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