藤井風 LAAT大阪 ライブレポート2023/2/7 大阪城ホール
パナスタでのライブから、はや4カ月。
昨年末の紅白歌合戦出場をはじめ、ネットメディアでのあれこれを経て、藤井風はどのように変容しただろう。
いつだって想像の遥か上を行く彼のことだ。サナギが蝶になるかの如く進化しているに違いない。期待に胸を膨らませて開演を待った。
「それでは、」
ストリングスの荘厳な音色が響き渡る中、藤井風が自転車に乗ってアリーナ後方の通路から登場した。
「わぁ…」と控えめに上がる歓声と拍手。藤井風は笑顔を振りまきながら、センターステージの外周をグルグルと移動する。大柄な彼が乗ると自転車が妙に小さく見えた。
やがて真っ暗な中からセンターステージがせり上がり、藤井風が浮かび上がった。スポットライトに照らされたのは、いつものYAMAHAのハイブリッドピアノ。
モニター画面には何も映されない漆黒の闇の中、見えるのは藤井風とピアノのみ。衣装はグレーっぽいガウンのようなものを羽織っている。
「The Sun and The Moon」
終始、子守歌のような温かみを漂わせていた。まるで幼子に歌いかけるような優しい歌い出しで、古いジャズを思わせるような懐かしさがある。ヴォーカルは時にささやくように、サビでは力強く朗々と歌い上げる。
ピアノのバッキングは角の取れた丸い音だが、間奏部分はとてもきらびやかだった。軽快なトリルに高速スケールを組み合わせ、低音から高音までをまんべんなく使った重厚な響きに圧倒された。
「Garden」
英語でハミングするように「Welcome to my garden~(わたしのお庭へようこそ、ライブに来てくれてありがとう)」と歌い出す。そのあとはイントロのハミングで始まった。
いつものことだが、ピアノで音を採らずとも歌いだしのピッチが正確だった。音程が狂わないのは優れた絶対音感と相対音感があり、自分の血肉となるまでたくさんの音楽を聴き込んできたから。「好きこそものの上手なれ」だからこそできることだ。
「ロンリーラプソディー」
おなじみ「きれいなもんだけ吸って~」の呼吸を整えるMC。「帰ろう」もそうなのだが、ロンリーラプソディーのピアノアレンジも、いきいきとしたドライブ感が素晴らしかった。
間奏から2番への導入部分でアクセルを踏み込むように一気に加速、左手のベースと右手のシンコペーションで刻むリズムコンビネーションが”THE藤井風のピアノプレイ”といった感じだった。
「もうええわ」
「みんなと一緒に歌いたい曲があります」「サビになったら心底ダルそうに、死んだように歌ってみてね」という旨のMC。会場にドッと笑い声が起こった。サビでは会場に観客の「もうええわ~」が静かに響く。声出しOKのライブで観客の生の声が聴けるのは藤井風もうれしかったに違いない。
「みんな先が見えない夜道を~」からの転調部分は天にも昇るような美しい響き。途中で歌詞を間違えたのか歌い直したようだった。アウトロのピアノもいつも以上にクールで圧倒される。
「傷口はいつかかさぶた~」部分は日産スタジアムフリーライブの時と同じラップだった。この曲もピアノのバッキングが大好きな曲。左手と右手のリズムコンビネーションがあまりにも見事で、アウトロの演奏では思わず膝の上でリズムを取ってしまった。
「旅路」
ピアノでイントロのコードを繰り返しながら「色んなことがあるけど学んでいきましょう。最後はみーんなうまいこといくから。信じて」という旨のMC。
イントロや間奏は右手トップノートの装飾音とブルーノートが光るジャジーな雰囲気。
藤井風のピアノアレンジに欠かせないものの一つにグリッサンド奏法がある。今回の「旅路」では「あーあ、ぼくらはまだ~」の後、とても効果的なタイミングでグリッサンドが入った。
「damn」
イントロが始まると同時に観客が総立ちに。小林修己のウッドベースが地鳴りのようにブイブイとうなる。弦の振動がこちらまで伝わってくるようだ。
パナスタで「damn」を初めて聴いた時のことを思い出した。ラストはお約束のキメ顔がスクリーンに大写しに。
「へでもねーよ」
「damn」から間を開けずTAIKINGのギターで幕を上げた「へでもねーよ」。藤井風の第一声は「ただいま大阪~!」だった。
火柱が立つステージはこちらまで熱気が伝わってくるよう。心の叫びのような歪んだディストーションギターのリフがギュンギュン吠えるAメロと、天へ祈りを捧げるような美しいハーモニーのBメロ。挑戦的な眼差しと懇願する無垢な瞳。サウンドと歌詞それぞれのギャップと対比こそが、「へでもねーよ」のカッコ良さだと実感した。
「やば。」
ストリングスのコード弾きから始まり、重なるコーラスにエレピが入ってくる。アレンジはパナスタの時と同じように感じた。ドラムとベースのグルーヴが粘っこく絡み合い、切なさが最大値を示す。
この曲の肝はやはり藤井風の自由自在なフェイクだ。90年代のR&Bが好きでブラックミュージックをよく聴いていた自分としてはアウトロが「やば。」過ぎた。
ドラムとベースのうねるグルーヴはもちろん、クリシェ(半音ずつ動くコード進行のパターン)、「もうそれ以上何も言わないで」の2拍3連……大好きな要素の連続技に悶絶してしまった。
MCでは
どのコールにも会場がドッと湧き、拍手が起こった。
「優しさ」
この曲もパナスタアレンジと同じ?イントロはTAIKINGのギターコードにYaffleのアドリブっぽいピアノフレーズがポロポロと絡んでいた。原曲のリズムはゴリゴリに重い後ノリのローファイ。だが今回はイントロから流れるように軽快な8ビートになっていた。長いブレイクの後の「あーああ~」はいつもにも増して伸びのある美しい声が聴けた。
「さよならべいべ」
TAIKINGのさわやかなギターのアルペジオで始まった。一瞬、何の曲だろうと耳を澄ませる。ギターのアルペジオに乗ってのバンドメンバー紹介が終わると同時に「意地張っても~」と導入。観客総立ち。サビで手を左右に振る藤井風。
「死ぬのがいいわ」
穏やかなピアノのアルペジオで始まったイントロ。最初は何の曲かわからなかった。トリルで下降し始め最低音でガーン!とF#(ファ♯)の音が鳴ったところで「死ぬのがいいわ」だと気が付いた。こういう導入アレンジもできるのはさすが藤井風。そこからはアクセルを踏んだようにスイッチが入り高速トリルとオクターブ連打の嵐。赤を基調にした怪しい照明も相まって、あっという間に異世界へいざなわれる。
この曲は長調(明るい雰囲気の調性)で始まるが、サビでは転調して短調(暗い雰囲気の調性)になるのが特徴。長調で始まったサウンドが、サビで短調に転調することで陽から陰へ、安定から不安定へと曲の雰囲気が変わる。
「死ぬのがいいわ」はペンタトニックスケール(ヨナ抜き音階)を使ったフレーズを少しずつ変化させながら展開していく。転調によって楽曲の色合いや雰囲気をガラリと変えてしまうのが藤井風サウンドの醍醐味。最後はもちろんパタリと倒れてしまった。しばらく微動だにしない…と思ったら……
「青春病」
倒れたままの姿勢で「青春の病に侵され~」と小声でささやくように歌い始める藤井風。「青春にさよならを~」はホール全体に美しく響き渡った。
TAIKINGのギターが大活躍の青春病。リズミカルなカッテイングからソロに至ってはギュンギュンと縦横無尽にかき鳴らしていた。
TAIKINGはアンサンブル奏者としてバランス感覚がとても優れているプレイヤーだと思う。バッキングとソロ部分のメリハリが取れており、引き立て役に回っていたかと思うと、瞬時に主役に躍り出る。彼のスイッチングの早さには毎回驚かされているが、その辺りのアンサンブル能力とプレイヤーとしての感覚、人間観察力の高さは藤井風と共通する部分があるようだ。ライブでは恒例の「野ざらしダンス」も健在だった。
そして決して忘れてはいけないのが、デビュー当初から藤井風サウンドの要であり、アレンジャーでもあるYaffleのキーボードプレイ。タイトなカッティングギターの間を縫うような絶妙なタイミングでフレーズやコードを鳴らしていた。
聴こえるか聴こえないかギリギリの音量であっても、本当にさりげなく隠し味のように入ってくる。古今東西のありとあらゆる音楽を知り尽くしている彼だからできる「音の引き算」が最高にクールなのだ。
アレンジャーの仕事は完全に裏方で、普段のステージではお目に掛かれないことも多い。彼のキーボードプレイをライブで聴けたのは本当にうれしかった。
「きらり」
ちょっぴりアンビエントなサウンドをバックに、モニターにはティアドロップ型のサングラスですまし顔の藤井風が登場。はてさて…某美容整形外科クリニックのイメージビデオか、タイアップ企業向けプロモーション映像かと思うようなスタイリッシュなつくりにざわつく客席。
藤井風は端正な美しさを放っていて上質な映像だというのに、なぜかコミカルに感じる。これまでのMVで「笑いへの落とし込み」という免疫が付いてしまったからだろうか。
コード進行と腹に響くベース音、バスドラの効いたイントロですぐに「きらり」が来る…とわかった。静かに始まったが加速度的に盛り上がり、やがてバスドラの4つ打ちが来るはず…と身構える。案の定、観客は総立ちになりホールは一気に大箱のクラブと化した。ダンサーズと一緒に踊る藤井風も楽しそうでMVと同じ振り付けも堪能できた。
「燃えよ」
「へでもねーよ」と同じくセンターステージに炎が上がった。「燃えよ」のフレーズに合わせて高く吹き上がる火柱。スタンド席にいながらも熱気を感じた。間奏ではTAIKINGのギターがギュインギュインとうねる。
アウトロでは藤井風が上体をのけ反らせながらキーター(肩掛け式のショルダーキーボード)を抱えてギュンギュンいわせてきた。ブルーノートスケールを駆使したフレーズは脳みそがしびれるくらいカッコいい。これだ、このキーボードプレイこそが藤井風!と思う。
キーボードは基本的に機材固定でその場所から「動けない」。ステージ上で自在に動き回れるギタリストやベーシストに比べ、観客に対するパフォーマンス性では劣る。正直、これまでショルダーキーボード時代を含めキーターは「ダサい」と思っていた。しかし藤井風がその既成概念を一新してくれた。
彼はキーターのピッチベンダーを自在に操り、ギターのチョーキングやビブラートばりに駆使する。そのプレイは決してギターの代用ではなく、鍵盤楽器のキーターだからできることだ。キーターは結構大型でしっかり重量もある。小柄な人だと負担が大きいのだが、長身の藤井風はなんのその。彼がキーターを操る姿はとても”映える”。キーターは「燃えよ」でのマストアイテムになればいいのにと思う。
「まつり」
イントロと共に、藤井風を乗せたステージ中央が祭やぐらのようにせり上がった。会場はもう既に総立ち。観客は皆手を頭上にかざしひらひらさせている。激しいギターリフに荒ぶる藤井風から、風に吹かれて飄々とこの世とあの世の間を漂う藤井風。「まつり」が始まった。
アウトロのフェイクもかなり崩していて、藤井風のヴォーカルの巧みさが感じられた。冷え込む2月だというのに観客全員の熱気がすごい。そしてこのステージと客席の一体感といったら……パナスタでの「風の秋まつり」の記憶がよみがえってきた。
「grace」
と英語でささやくようなMC。終わると同時に「grace~」とコーラスが響きわたる。はじけるような笑顔でダンサー達とたけのこダンスを踊りながら、観客へ向けるまなざしが慈愛に満ちているように見えた。彼は囚われているものから本当に自由になったのかもしれない。ふとそんな気がした。
ダンサー紹介では多国籍なメンバーのパフォーマンスもさることながら、リーダーOkamoto Shingoのキレのある所作とおじぎの美しさが際立っていた。
「何なんw」
イントロではのTAIKINGのギターカッティングに合わせて「タラララッタララァ~」とフェイクを入れてくる。自在にアドリブができて、しかもパズルのピースがかみ合うようにピッタリはまる。こういうところに藤井風の音楽性の高さを感じる。
「何なんw」は彼のジャズやファンクに対する素養の深さが表れている。フェイクやスキャットは、いつも演奏のたびに変えていてほぼアドリブだろうし、そもそも楽譜に書いてあることを演奏しているわけではない。アドリブ演奏はこれまで触れてきた音楽と、自身の音楽性が丸裸になる一瞬でもある。
藤井風のライブ映像がまだ渋公ライブのハイライトぐらいしか存在しなかったころ、ライブで観たくてたまらなかった「何なんw」のジャンピングピアノ。
やっぱり今日もファンキーでジャジーでゴリッゴリのグルーヴが、キレッキレでテンション満載のおしゃれなコードが、天国に誘われるような転調が、そしていつものバラベレン~が聴けた。
もう最高に楽しい。
幸せだ。
MCではこう締めくくった。
「The Sun and The Moon」について
今回、初めてライブで聴いた「The Sun and The Moon」。この曲を聴くと、いつも何となく浮かんでくる物語がある。お約束のようだが映画のラストシーンだ。主人公はもうすぐ息を引き取ろうとしている。朦朧とした意識の中で脳裏に浮かんでくるのは人生を歩んだ「記憶」。
生まれた日に見た朝の光、愛情いっぱいに見守る家族の顔、無邪気に遊ぶ子ども時代、思いがけない挫折、叶わぬ恋に胸を焦がした青春、家族との確執や別れ、もうすぐやってくる命の終わり……。これらが走馬灯のように音楽に乗って流れる回想シーン。
藤井風の音楽は聴く人の想像力を掻き立て、記憶を呼び覚まし、想い出を刺激する。自分の中の何かを駆り立てられたのち、人生に思わぬ展開や物語を運んでくることすらある。
彼の音楽があらゆるボーダーを超えて愛される理由は「大切な何かを思い出させてくれ」「そっと背中を押し」「静かに寄り添ってくれる」からではないだろうか。
藤井風のライブに来る人達は、どんな人たちなのか
入場待ちの列や会場で人々をウォッチングしている際、高齢の夫婦を見かけた。彼らの会話がとても心に残ったので書き残しておきたい。
妻は足が悪いようで杖をついていた。歩き出す時には、夫が後ろからさりげなく支えている。互いのスマートフォンでチケットを確認しながら
「風くん、どんくらいの大きさに見えるやろか?」
「豆粒よりは大きく見えるかも知れへんで」
まるで孫の発表会でも観覧するかのようだ。
「あの子な、いーっつも『執着を捨てよう』とか言うてるやろ。本当はな、あの子でもようけ(たくさん)悩んでんねんて。優しい子やから余計悩むんちゃうか」
「そやなあ。まだ若いし自分がうまいことできへんから、色々腹立つんとちゃう?」
「だから悩むねん。自分が先に忘れようなんか、そんなもん普通あの子ぐらいの年でできるかいな。わたしでもできへんのに……」
老夫婦の藤井風談義が何ともほほえましかった。藤井風の音楽は彼の祖父母と同じくらいの年齢のリスナーにもそっと寄り添っているのだ。
そのすぐ近くでは「風くんのこの顔、かわいいよね~」と言いながら女子高生二人組がスマホでLINE中。画面には藤井風のスクショが並んでいるに違いない。学校帰りに来たのか羽織ったコートから制服のスカートの裾が見えていた。
想像に違わず熟年マダムグループ率は圧倒的に高い。だがライブも回を重ねるごとに若者率が上がっているような気がする。
オフィシャルグッズを着た大学生くらいのグループには、憧れているのか藤井風の髪型を意識している男子もいた。男性は年齢に関係なくこざっぱりした外見で、ひとりで参加している人が多かった。仕事帰りOL風の若い女性も多く見られたのも付け加えたい。
平日19時開演とあってさすがに幼い子ども連れは多くはなかったが、それでも母親と子ども(男女ともにいた)の親子連れをよく見かけた。藤井風のリスナー層は本当に多種多様だ。
まとめ
ピアノ弾き語りがメインの前半と、バンドアレンジが新鮮でビートの効いた後半。「静」と「動」の2つの趣向が楽しめた。
センターステージを設けた効果は絶大。演者と客席の一体感と臨場感がこれまでに増して感じられた。中央部分がせり上がり360度回転するのと、4面に配した大きなモニターで細かい表情もよく見えた。焚かれたスモークと縦横無尽に放たれるレーザービームのようなライティングは非日常を演出し、夢のような空間を作り上げていたのもよかった。
ライブの前にはアプリにより裏方スタッフの紹介がされていた。ステージ上からは見えないが、ライブステージは照明、音響、物販、会場設営、安全管理などたくさんのスタッフに支えられている。
パナスタに引き続き、今回のライブも”縁の下の力持ち”裏方スタッフの技術と熱意が存分に感じられる素晴らしい演出だった。
最後に
一期一会で二度と同じ演奏が聴けないのがライブの醍醐味。だから一瞬たりとも聞き逃すまいと全身を耳にして聴いていた。
「何なんw」は撮影OKだったにもかかわらず、演奏にすっかり魅了されスマートフォンで撮った動画は斜めに傾いていた。バンドメンバーの中でもお目当てのYaffleは鍵盤を操る手元はおろか、始終後ろ姿しか拝めず。MCや衣装、ステージ展開や演出の詳細は既にぼんやり忘却の彼方という有り様……。
でもそれでいいのだ。
足りないものを数えるより、満たされていることに気付ければいい。
心と身体は藤井風の音楽に包まれて温かく幸せな気分。
今はそれだけで充分だ。
「それ」に気付くことが、いちばん大切なことなのかもしれない。
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