藤井風「満ちてゆく」 いのちへの賛美歌
・時間をさかのぼって描かれる物語
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車いすに乗るひとりの高齢男性。彼は、もう自分の足で歩くことは難しくなってしまったらしい。
「避けがたく全て終わりが来る」
年齢を重ねた藤井風が、そこにいた。
「満ちてゆく」のMVは、ある男の”人生の最終章”を描いた物語だった。
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時の流れとともに深いしわと哀愁を刻まれた額。頭髪と口元にたくわえた髭は、すっかり色あせて白くなり、両頬を覆うように包み込んでいる。精巧な特殊メイクが施されているとはいえ、顔に刻まれたしわの一つひとつは、まるで彼の生きてきた年月や経験の跡を物語っているようだ。
死期を悟った彼は、自分の人生を振り返り、最愛の母との物語を書き留め始める。
彼は自分が忘れかけていた過去の自分を思い出す。
長い人生の中で、仕事の忙しさや生活の慌ただしさに流されそうになることもあった。
大都会の中だからこそ感じる孤独。
すっかり自暴自棄になりそうな時、ふと気が付くと誰かの慈愛に満ちた温かいまなざしを感じた。彼の心に、母親(=聖母=ハイヤーセルフ)との穏やかな時間が甦ってくる。
彼は思い出の場所を訪れ、自分自身と向き合う。ピアノの鍵盤に触れると、まろやかな音色が、彼のささくれだった心を包み込みんだ。
幼いころから、母と親しんできたピアノと音楽。かつてピアノの音に心ときめかせたことが思い起こされ、出会いと別れ、過去の喜びと悲しみが、寄せては返す波のように巡ってくる。
彼は自分の人生に悔いのないよう、残された時間を静かに大切に過ごす。その表情には、自らの宿命をすべて受け入れた賢者のような風格が漂う。
ギャラリーを訪ね、母(聖母)に似た肖像画を見つめる彼の瞳には、母なるものへの恋慕の他に、積み重ねてきた喜びや悲しみが映し出されている。
追憶の中での笑顔は、彼の心の奥底にある希望と情熱を示している。彼は肉体を失うことで全ての執着から解き放たれ、本当の自由を手に入れたのだろうか。
礼拝堂のドアを開けて飛び出したのは、高く広い空だ。
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メメント・モリ(死を想え)
藤井風の音楽に通底しているテーマがある。
彼は"もうええわ"って何なん Kaze talks about “Mo-Eh-Wa” の中で、
と話した。
「満ちてゆく」は、前回のMV「花」や「帰ろう」にも増して「メメント・モリ(死を想え)」を色濃く感じる。
「花」の中では死は厭うものではなく、死を「新たな旅立ち」のように表現した。
「帰ろう」では“死”をテーマにすることで“生”を浮き彫りにし、生きるとは何かを問いかけてくる。
命には限りがあるからこそ、人は善く生きようとする。「花」は枯れるからこそ美しい。生きとし生けるものの全てが諸行無常で、生命は常に循環している。だから「何も持たずに帰ろう」なのだろうか。
人生経験を重ね、背負い続けたものが大きく重くなるほど「手放すこと」は難しくなっていく。
藤井風は「愛されるために愛するのは悲劇」と歌う。
愛というものは、人を天使にも悪魔にもする。聖母マリアや釈迦のように慈愛に満ち、無償の愛で「全て差し出す」のは難しいからこそ「放棄と開放」は永遠の課題なのかもしれない。
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