<2020/11/02追記> 藤井風「へでもねーよ」はアップデートした藤井風の世界観が見える
藤井風はラジオでの話だと普段、あまり怒ることはないという。だが藤井風だって人間だ。外的対象に対して怒りの感情を抱くこともあるだろう。「へでもねーよ」は、「外側」に向けてアグレッシヴに立ち向かっているだけの歌なのだろうか。
元記事はこちら。
先日の武道館でのライブレポにはこう書いた。
いま「へでもねーよ」を聴いてやっと泣いている。キックやパンチをかましてくる“あんた”は自分自身の弱さでもある。そう、生きるとは「へでもねーよ」で乗り越えていくことばかりだ。こんなタイトルで涙腺崩壊って何なんw
一時的に外側に怒りを放出すれば、すっきりするだろう。でも結局のところ他人と過去は変えられないし、本当の敵は自分の内側に巣くう「ネガティヴな感情」かもしれない。「へでもねーよ」は、そんな心の中にひそむ自分自身の弱さと対峙している歌にも思えてくる。
帰れうちへ帰れ
黙れしばし黙れ
騒げよそで騒げ
騒げ
あんたの軽いディスへでもねーよ
あんたの軽いへイトへでもねーよ
あんたの軽いマウントへでもねーよ
へでもねーよ それでえーの?
「帰れ」「黙れ」「よそで騒げ」とののしられる「あんた」。「それでえーの?」と問いかけられる「あんた」は外側の誰かだけではない。負の感情に支配されそうになっている自分自身でもあるのではないだろうか。
「へでもねーよ」と笑い飛ばしながら「Struggle(もがく・あがく)」自分を俯瞰(ふかん)する。怒りや不安も認めて受け入れると同時に自らに「それでえーの?」と問う。時に感情を「解放」し、上手に「放棄」する。藤井風の歌は、先の見えない日々を乗り越えようともがく人々への”こころの処方せん”になると信じている。
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