「社会工学Social engineering」が日本人を改造した
前回までのまとめ
○「社会」は200年前のフランスで作られた思想
○作られた「社会」と日本土着の「共同体」が対立する
○「社会」が入りこんだことで、日本人の脳が拒否反応を起こしている
⬇️こっちが前回
「社会工学Social engineering」が日本人を改造した
社会societyの輸血は、太平洋戦争後、戦勝国のアメリカによって行われました。
日本人という東アジアの意味不明な民族を治療したこの手法は、社会工学Social engineeringと呼ばれています。
「社会科学を応用して、社会の病気を治すための処方箋を書く」
これが社会工学Social engineeringの目的です。
「社会科学を応用して、社会の病気を治すための処方箋を書く」
この言葉は、果てしなく理想的です。
非常に前向きで。
光り輝くような、キリスト教圏に特有の美しさ。
アメリカ政治分析をおこなう古村治彦氏は、「アメリカでこの言葉を聴いて深く感動した」と言っています。
そして、帰国後に社会工学の本当の意味を知って、だまされたように感じた、とも。
※出典『悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人』(SNSI副島国家戦略研究所 kkベストセラーズ 2009年)
キリスト教は、「美」で包みこんだギフトをくれる。
当時のアメリカ人は、この東アジアの謎の民族にたいして「ギフトしてあげよう」という気持ちだったはずです。
美しいギフトを。
「美しさ」っていうのは現代の社会工学だけではなく、この2000年を通して変わらないキリスト教の伝統です。
たとえば『予定調和pre established harmony』などもそう。
予定調和とは、Godがあらかじめ決めている調和、定めのことです。
キリスト教神学の核心です。
字面を見てください。
予定調和はpre established harmony、意訳すれば『あらかじめ奏でられていたハーモニー』。
あらかじめ奏でられていたハーモニーですよ。
この語感は僕に、天に描かれた壮大な虹をイメージさせます。
いまちょうど、著述している僕のかたわらで、バッハの音楽が流れはじめました。曲名は知りません。
匂いやかな美しさを感じます。
陶酔(とうすい)の美しさを、キリスト教は持っているんですね。
このようなキリスト教圏のイメージを受け継いでいるのが、社会工学なんです。
社会の病気を治してくれる、あまりに美しい社会工学。
「数式は美しい」のホントの意味
社会工学は、数字を適用して、あっちとこっちでバランスをとって、まるで数学の問題を解くかのように、というか数学そのものか、紙のうえで人間の世界を再編成するんですね。
「数字をつかう」というのが重要で。
数学Mathematicsというのは、神学Theologyの一部だからです。
数字とGodは切っても切れない関係にあります。
ともに高度の抽象化です。
『万物の根源は数字である』と宣言した古代ギリシャのピュタゴラス(紀元前582~紀元前496)から、ものごとを高度に抽象して、理論化して、いちばん高みの天空から、人間の世界を解釈する、という視点が発達しました。
空気+暖かさ=雨であり、人間+恐怖=パニックです。
高度に抽象すれば、2+3=5。
このような、絶対に変わることのない、2+3=5という、数界の普遍(ふへん)の法則、ユニヴァースuniverseを、Godはつかさどるんです。
だから、数学Mathematicsは神学Theologyの一部なんですね。
『新版 決然たる政治学への道』(副島隆彦著 PHP研究所 2010年)のp233に、キリスト教圏で一般的な、諸学の分類表があります。
※著作権アウトな場合は削除します。
諸学の分類の中で、数学は、神学の一部なんです。
日本では、ほとんど知られていない未上陸の知識。
高校の数学が、難解なうえに何のためなのか意味不明なのは、あれが神学だからです。
数学が得意な人間は、だから難解とも意味不明とも思わず、ただ数界の探求が楽しいんですよ。
数字の中に、Godの世界の美しさを感じているんですよ。
「何のため」などはありません。
大事なのは美しさです。
「数式は美しい」とは、キリスト教徒の言葉です。
天に描かれた陶酔の美しさこそ、キリスト教と、社会工学の本態(ほんたい、本当の姿)です。
つきつめていえば「社会とは実に美しい思想だ」と目をキラキラさせた連中が、日本に「社会society」を仕込みました。
(続)