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イタリア研修時代のこと④

さ、このお話もこれにて最終話!

研修先のオスカル家とは涙のお別れをしていよいよトリノに戻り試験です!
試験はワイン2種のテイスティングとサービスです。
もちろん、テイスティングの記述もサービス中話す言葉もイタリア語オンリー。

WSETもそうですが、イタリアソムリエ協会にもテイスティングのチェック項目の表があり、まずはこれを丸ごと覚えます。
(JSAはどうなんでしょう?持ってないので分からない〜。)

目から得られる情報(濁り、色、濃度、泡の状態など)、香りから得られる情報(最初のアタック、スワリング後の香り、キャラクターなど)、味から得られる情報(糖度、果実の強さ、酸味、タンニン、ミネラル、アルコール、複雑性、キャラクター、余韻の長さなどからボディを見出す)。この3つを総合的に見て飲み頃はいつなのか、結果、この3つはハーモニーしているのか?を導き出します。
(この、最後のハーモニーの項目はWSETではgoodなのか?excellentなのか?のような感じで答えるようになっていました。「ハーモニーしてるか?」って、なんか、いいですね!)

香りや味のキャラクターを答える時もほとんどワードが決まっています。
例えばソーヴィニヨンの時は「柑橘」「酸味が中程度以上」などが正解のワードになるので、テイスティングでソーヴィニヨンを出されたのなら、このワードがテイスティングに書かれていないと不正解となります。
よく、漫画やドラマや私なんかがお店で「お花畑!」「じめっとしてる」なんて抽象的に答えた日にはソムリエ資格は取れません。

因みに、何が出されたかは全く覚えていません!試験後も正解は言い渡されず、同期の仲間たちと「あれかな?これかな?」と予想をして、もやもやしたまま終わるのです。

サービスの試験はワインのオーダーを受けるところから始まり、抜栓、グラスに注ぐ所までを行います。
今でも印象に残っているのはお客様役のテーブルから抜栓するサービス台までエレガンテ(イタリア語)に歩いた事。ここは堂々と笑みを浮かべて背筋を伸ばすのです。ワインの銘柄の確認する際もにこやかに、適切な距離で落ち着いてお伝えします。
(因みに、私はヴィンテージをイタリア語で言うのが好きでした。2001年だと「ドゥエチェント・ウーノ」1998年だと「ディチャノーヴェ・ノヴァントット」。噛まずに言えるとスッキリします!)

私の時はスパークリングだったと記憶しています。おそらく、私の派遣された地域はフランチャコルタ(ロンバルディア州の瓶内二次発酵の発泡性ワイン)が近かったせいもあるのかもしれません。
発泡性ワインの時は音を鳴らさずに抜栓します。よく、「処女のオナラ」と表現されます。プスっとにこやかに抜栓してやったと思います。

全ての人のサービス試験が終わり、結果発表も一人一人呼ばれました。

部屋に入ると天下一武道会の始まりに使うような大きなドラがあり、「トモカ、合格ならこのドラが鳴りますよ。どう?鳴らしますか?」と聞かれ、戸惑っていると、「ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!」
えー!わー!本当に?えー?
イタリア語もままならず、ワインの知識もイタリアにきてから学んだくらいなのに、どうして受かったのか?試験官の方に言われたのは「イタリア人っぽかった」だそうで…。そうゆうこともあるんですねぇ。
この喜びと感謝をオスカルの皆に伝えたくて、ミケイラに電話。いつも雰囲気で話していたので、電話で通じるかなぁと思ったのですが、なんとか伝わり、きゃあきゃあ言いながら最後の会話を締めくくりました。

最後は同期みんなでスカラ座の隣のレストランだったか?有名な日本人ソムリエ林さんがいらっしゃるレストランで打ち上げ!そのサービスが本当にすごかったです。美しい!そして、ここで飲んだラディコンのメルロー!(ヴィンテージは覚えていません)まだ「ナチュール」の概念がない頃でしたが、しっかり響きまして、私の中ではラディコンは赤、という勝手なセオリーが染みつきました。

試験後、そのままイタリアに居残り組もいれば、少し回って帰る方もいましたが、私はそそくさと帰国。余裕もなかったので、すぐに家探しと仕事探し。と言っても、お仕事は働きたい場所があったので、そのオステリアを紹介してもらっていました。しかし、それだけでは食べていけないのでコールセンターでバイトしたりしていました。
その後、お師匠ネッド・グッドウィン氏にインポーターを紹介され、そちらへ転職。ここでも営業職が初めてで英語もそんなに話せないのに、上司が辞めてイギリス人社長と小さな会社を切り盛りすることに…。出産と社長とのいざこざを機に百貨店へ転職。(今はその社長とはハグをするほど仲良しです!)そして、独立。アンケヴィーノ開業と相成ります。

たった半年のイタリア研修はまるで濃縮還元ジュースのように濃密な時間でした。その証拠に、もう20年も前のことなのに未だに「イタリアに行ってたんでしょー?」と言われます。たった半年なのでお恥ずかしい限りなのですが、間違いなく必死だったあの時の経験は今でも私をキラキラさせてくれます。思い切って行って良かったです。クラクラする程の寂しさや不安もありましたが、周囲の助けもありました。

いつか、オスカルを再訪すると約束してもう20年も経ってしまいました。早く行かなきゃ!息子も連れて行きたい!当時、お世話になったお礼にデジカメをプレゼントすると約束したけど、もうiphoneあるのでいらないよなー、どうしよーと思いながら、少しの後ろめたさを感じています。
ごめんなさい、オスカル&ヴァレリア、絶対行くから!!!

イタリア研修時代のこと、
長きにわたり読んでくださった方へ、どうもありがとうございます!

また来月!

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