心療内科医の言葉#2「カメラがピントを合わせ続けているようなもの」
心療内科の先生に言われた。
「娘さん、普通に生活するだけでものすごく疲れていると思いますよ。」
娘の日常
自宅での様子を聞かれた。
私は、普段からなんで?と思うこと、困ること、見ていて可哀そうだと思うことを話した。
たとえば、いつも探し物をしている。
手に持っていたはずの鍵が、スマホが、お財布が一瞬で無くなる。
いつも「あれ~?また、ないよ~~~😭」と探している。
2~3個同時にないことも、珍しくはない。
そして、時間に追われている。
時間早めに動き出しても、探し物に邪魔をされたり、時間自体の計算を間違えていたり、大事な何かが抜けていて土壇場に気づいて、結果大慌てしないといけなくなる、とか。
学校のある日は、玄関を出るまでに疲れ切っていることも少なくない。
出掛ける直前に履き替えた靴下、帰ってきてとりあえず置いた上着、飲み終わったコップ。
このまま永遠に置いておくのかな~、と思うくらい置いたままになる。
目に入らないのが不思議。
自分から片づけられることはほぼないので、片づけてねと声をかけるが後回しになるので、再び置かれ続ける。
試しに放置されたコップを、私もそのまま放置してみた。
テーブルに1個、カウンターに1個、窓際に1個、娘の部屋に1個。
食器棚にコップがなくなり、「コップないよ?」と私に言う。
ちょっと笑える。
本人は必死
お察しの通りADHDの特性で、先生も
「その傾向が強く出ている。
そして、本人はかなりしんどい日々を、努力して過ごしている」と。
娘は、小学生のころから、いつも大荷物を抱えて出掛けていた。
大学生になった今も。
パソコンしか必要ない、その日たった1コマの授業にも、大きなリュックを背負って出かける。
心配だから、必要ないテキストまで入っているのだろう。
ちなみに娘の一番小さいバッグは、B4サイズのファイルが入るトートバッグ。
もちろん、ファイルは入っていないけど、でもずっしりしている。
常リュックなので、よく見かける女子大生が持っている「何が入るの?」と聞きたくなる、逆に小さすぎるバッグとは無縁である。
日々、登山。
きっと、忘れ物をしないための娘なりの対策なのだ。
何から何まで入っているんだろうな。
その努力と運ぶ苦労が功を奏せばいいのだけど、その大荷物の中からも、やっぱりモノが無くなったり、必要なものを置いて出掛けてしまったりする。
先日の痛恨のミスは、なぜかピルケースをテーブルに忘れていってしまい、帰るまで片頭痛に苦しみ続けた。
すると、頭痛以上に忘れて出掛けてしまったことにも落ち込む。
「モノが無くなる・忘れてしまう」⇒「時間に間に合わない」⇒「慌てる」⇒「モノが無くなる・忘れてしまう」に戻る、のループの中で、努力しているけど上手くいかない。
私からしたら、置き場所を決めたり、片づける、整理したらいいと思うけど、娘はそれでもだめなんだ、と。
疲れ果てているよ
先生は、娘のこの様子を
「頭の中がいつもせわしなく考え続けている。
だから、目の前に置いたままの物も視界に入らないだろうし、片づけるように言われても次のことが頭にもう浮かんでくるから、忘れて抜けてしまうんだろう」
「失敗しないように頑張り続けている。カメラがずっとピントを合わせ続けているようなもの。ものすごく疲れていると思う。」と。
すごくイメージができて、涙がでた。
娘は、ものすごく眠る。
大学生なのに、バイトのない日は下手したら21時には眠る。
小さなころから、早寝早起きがモットーの子育てをしてきた賜物と、私は胸を張っていたけど、実は娘は疲れ切っていたのだ。
人に言われてやっと
娘が、いつも大荷物で汗をかいて歩いているのを見て、本当はイラっとすることもあった。
置いたままの娘の物を見つけるたびに、ただの怠惰だろうと思っていた。
片づけを言われてもしないから、あと回しにするから、全部自分が悪いんでしょ?と思ってきた。
でも、自分ではどうしようもない。
がんばってきているけど、上手くできない自分にも疲れてしまっている。
スマホのタイマー機能を使い、忘れてはいけないことや頼まれたことはすぐにスマホのメモ機能に入力している。
そこまでやってるのになんで?!と不思議だったけど、そういうことだったんだ。
毎日娘をみて、言葉を交わしていても気づいてあげられない、理解してあげられない。
でも、人に言われることで、気づいて納得ができたり、なんで?が腑に落ちた。
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