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全世界分配式幸福理論

 青草少女、隣の芝の青さを知る。
 青春といえば聞こえはいいが、いかんせん他人の目が気になる。
誰かがコケれば笑い、誰かがモテれば羨み……気になる、とても。
誰にでもそんな時期があったでしょう。青空を見ては黄昏るような、まさにどうしようもない中二病。
 そんな時を無難に通過しながら、私はこんなことを考えていました。
「この世の幸福総量は決まっており、何かしらの存在が全世界に配分しているに違いない」と。

 「全世界分配式幸福理論」
 これは、地球は一定量の幸福を保持しており、そこから個人へ幸福が分配されるという考え方です。分配者は創造神、もしくはそれに値する存在で、その存在のさじ加減で個人がその瞬間手にする幸福量が決まります。また、幸福が消費された後、その幸福量は分配者の元へ戻ります。したがって、ずっと幸せな人がいればずっと不幸な人もいる、そう考えていました。
 そうでないと、私は自分の境遇に納得できませんでした。

 家の都合で、小学高学年の時には、家族でお出かけが難しくなっていました。夏休みや冬休みの後には、ポッケやカバンの隙間に誰かからのお土産が詰まっていきます。あの時の私は「喜び」と「虚しさ」を同時に抱えていました。
 中学3年生の春には、父方の祖父母に多額の借金があることが判明し、母方の実家にいそいそと引っ越しました。また、それに合わせて私も転校しました。
 しかしさすが思春期、どこもかしこも成立したグループばかり。小学生の時の柔軟さはどこへやら、みんな己のテリトリーで過ごしています。所在なさげに過ごす私に、手を差し伸べてくれる優しい子達もいましたが、その子達が属するグループの子達からのいじめを経験する羽目になりました。
 さらに、母方の祖母とも折り合いが悪く、家庭内の雰囲気も最悪で、私は家でも学校でも誰かのサンドバックでした。危うく不登校になりかけましたが、それも許されず、痛いお腹をさすりながら毎日自転車に乗ったものです。
 高校では、当時付き合っていた人の愚痴を1ヶ月親身に聞き続けたら、ストレスで耳が聞こえなくなりました。まだまだ夢見がちな幼子だった私は、彼の「俺からは別れを告げない」なんて言葉を一筋に信じていましたが、勿論世の中甘くなく、普通に振られてしまいました。人間不信。
 また、進路も考えなければならない時期でした。高校1年生の時は、無邪気に芸術関係に進みたいと思っていましたが、家族から一言否定されただけで取り下げてしまいました。そうして、だんだんと自分の意思すら分からず、一層人の顔色を見て生きるようになり、徐々に自分軸がに消えていきました。高校3年生の時には、ただ否定されなかったというだけで「教育」の道に進むことにしました。
 そんな感じで決めた道でしたが、大学では色んなことが学べて楽しかったです。しかし、悠々自適なひとり暮らしができるかと思いきや、自分軸をどこかに置いてきてしまった上、勤勉で真面目だったため、ストイック他人軸人生を送ることになりました。
 どんな過ごし方かというと、電気は常に消して、欲しいものは頭に浮かべて満足し、食費は週1000円以内で管理、お風呂はシャワーで短時間、ご飯は毎食手作りで、お弁当も毎日持っていきました。また、頼まれ事は余程のことがない限り引き受けました。外出は人に誘われた時にするくらいで、大抵は大学の図書館に行ったり近所の散歩をしたりしていました。おかげさまで成績は良く、学内で表彰を受ける程でした。
 あまりストイックに欲を消していたので、この頃には100円のおやつでさえ買うのに苦労しました。何分もコンビニのおやつの前で、買うか買わないか悩むようなモンスターになっていたのです。そんな人間が、自分用の服を、何とか理由をつけて買うことが出来たのは大学2年生の時でした。ショッピングモールをぐるぐる歩いて2時間程、セール値の服を1着買いました。
 私は、自分が何をしたいかとか何が欲しいかとか、そういった自分の心が欲するものが、どんどん分からなくなっていっていました。欲を抑えつけて、周りにあわせて生きていくうちに、自分という像が、他人との境界線が、一層曖昧になってしまったのです。

 私はどうしてこんなに生き辛いのだろう。どうして苦しいのだろう。周りは年相応に無邪気で、幸せそうで、お金も時間も自由に使えて羨ましい。家族仲が良さそうで羨ましい。なんで私はこんなに不幸なんだろう。周りに吸い取られているのかもしれない。分配者はどうして私に幸せをくれないの?私はこんなにいい子なのに。

 恨みつらみに目隠しされて、それでも自分をなんとか納得させて日々を生きていました。しかし、目隠しの裏ではこんなことを思っていたのです。

 私は、自分が幸せになることが家族に申し訳なかった。
 私は、自分が幸せになることが、世界中のつらい思いをしている人達に申し訳なかった。
 私は、自分が幸せになることが許せなかった。
 私は、自分が不幸なのは世界のせいだと責任を擦り付け続けた。

 この「全世界分配式幸福理論」は決して真理などではありませんでした。青春という感傷的で多感な時期に、自分の傷口を自分で舐めるような、不幸フォーカスのネガティブ自論に過ぎませんでした。また、自分の境遇や思考のクセに向き合わないための逃げ道でしかありませんでした。
 不健全な思考にグルグル巻きにされていた私は、徐々に心身を壊していきました。最終的には不眠症になり、3年不眠とバトルした結果、見事敗北しうつ病も発症。その後、約3年間の引きこもりの生活をする羽目になりました。

 うつ病引きこもり生活は非常に過酷なものでした。
 体が言うことを聞かないし、外に出れば動悸やめまいで倒れそうになり、ふとした瞬間死に向かって踏み出そうとしてしまいます。喋らなくなるので、一時は声も失いました。薬の力でやっと眠りついても、悪夢に叩き起こされます。寝ても覚めても何をしていても、頭の中では自分を否定する言葉ばかりが強制的に繰り返されます。
 薬はあくまで、自分を一定レベルの鎮静状態にもって行ってくれるのみで、後は自力でうつ病から抜け出すしかありません。ミスったら即死のスペランカー人生、無理ゲーすぎやろがい。
 幸か不幸か、そんな状態でも時間だけは平等に与えられています。私はひたすら生死や幸不幸について考えていました。

「なぜ生まれたの?許さない」
「なぜ死んでいないの?死にたいよ」
「生きる意味って何?そんなものない。死にたい」
「なんで自分はこんなに不幸なの?神様は不公平だ」

 ひたすら、自問自答する日々でした。薬物治療を続けて状態が安定してきた頃、問は変わらずでしたが、答は変化していきました。

「なぜ生まれたの? 生まれてしまっただけ」
「なぜ死んでいないの? 死ぬのは難しい。死ねなかった、この根性なし」
「生きる意味って何? そんなものはない、生まれただけ。あるとしても後から出てくるだけ」
「なんで自分はこんなに不幸なの? ……」
最後の問だけはわからず、答えは出ません。そうしている内に1年、2年と過ぎていきました。
 うつ病2年目の冬。12月、誕生日前日の朝のことでした。出かけようと思って外に出ると、1匹のツマグロヒョウモンがフラフラと飛んできました。こんな寒い日に蝶を見たのは生まれて初めてで、じっと見入っていました。その蝶は私のそばにやってきて、初めは私のお腹に止まりました。お腹が空いているのかと思って手ですくい、花壇の花に乗せるもすぐに飛び上がって、私の周りをぐるぐると飛びます。誕生日前日の、霜も降りている寒い朝だったので、私も運命的なものを感じていました。思わず手を差し伸べると、蝶はそこをめがけて降り立ち、じっと私に向き合いました。
「神様、ちゃんと見てくれているんだ」
自然とそう感じ、感謝もふつふつと湧き上がってきました。
 神様は見てくれています。私が死にかけていようが、何をしていようが、きっと見てくれているのだと思います。我々が気まぐれでゴミを拾ったり、困っている生き物を助けたりするのと同じように、時には人間に何かを授けてくれる時もあるでしょう。そう、授けてくれるだけで誰かの分を分配しているわけではありません。また、受けたものを幸不幸に分類するのは受けたその人自身です。がんじがらめになっていた思考が、少しほどけた瞬間でした。
 そこからは少しずつ、自分の幸せを考えて選択・行動できるようにしていきました。蝶が羽化した後、羽を伸ばすのと同じように、ただひとつ「自分はどうしたいのか」に集中するよう努力しました。やがて分配者は消え、幸せの器を持っているのは私自身になり、このように見事な変化を遂げることができたのです。

「全世界分配式幸福理論」
 私は世界を知った気でいました。飢餓に苦しむ人、紛争に巻き込まれる人、ホームレス……そうした人は皆、自分より不幸だと勝手に決めつけていたのです。また、笑っている人、年相応にわがままな人、家族仲が良い人……そうした人は皆、自分より幸せだと勝手にわかった気になっていたのです。
 まるで、この世界の主が自分であるかのように、全てを自分の物差しでジャッジしていたのです。だからこそ「全世界固定の幸せの総量を、何者かが分配している」という、人の幸不幸を決めつけた暴論を信じていたのです。
 「隣の芝生が青く見える」それはそれでいいのですが、自分の芝だって青々していることを自覚してこそ幸せが見えてくるものです。誰かと比較するのではなく、今享受している物を見つめることで感謝も湧いてくるし、幸せに心満たされるのだと思います。

 あなたの世界には、あなたという神様が存在します。幸せの総量や器の大きさ、何をもって幸せとするかは全て、あなたが決められるのです。また、それらを誰に分配するのかも、あなたが決められるのです。
 あなたが幸せであるように、あなた自身が一匙幸せを選んでいけたなら、きっと幸せに生きていけるでしょう。

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