物騒な本棚 #本棚をさらし合おう
フォローしている ことふりさんの記事で知った本企画。
ことふりさんのいう通り、ある意味、Youtubeで素顔を晒すより恥ずかしいことになりかねないが、面白そうなので私ものってみようと思う。
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私はニュージーランドに住んでいるので、日本の本は一時帰国したときに買わなければならない。最近はKindleもよく利用しているが、一時帰国したときには地元の駅ビルにある丸善に1日何時間もこもるのが大の楽しみで、毎回、何冊も本を買う。全て持って帰りたいとおもうのだが、本は重いので、ニュージーランドまでなかなか持って帰ってくることはできないのが悔しいところだ。
そうやって、はるばる太平洋を渡ってやってきた本たちが、南の果ての国の私の家の小さな部屋の本棚におさまっている。
改めて本棚を眺めて驚いたのが、私の本棚は「戦争」とか「戦闘」とか人の「生き死に」に関わる話ばかりだってことだ。
今は民間機のパイロットをしているけれど、もともと戦闘機パイロットになりたかった私だから、戦闘機の話が好きだったのはわかる。それでも、自分の本棚が、戦争、戦闘、人の生き死にに関わることについての本ばかりだったことに、今回初めて気がついた。いやあ、なんて物騒な本棚だろう。
ただ、私の個人的な興味もあるのだろうけれど、海外にいると、自分の生まれた国は、かつて世界中を相手に戦争をしたんだ、という事実に向き合いざるを得ない。戦争の本が多いのは、そういうことなんだろう。
さて、まずは左の棚からいってみよう。
ジパング かわぐちかいじ
いきなり漫画。かわぐちかいじの漫画が好きで、ほとんど読んでいるのだが、コミックスで持ちたいと思ったのがこの「ジパング」と「沈黙の艦隊」で、今のところ持っているのがジパングだけだ。
海上自衛隊のイージス艦がミッドウェー海戦のど真ん中にタイムスリップするという荒唐無稽なあらすじから始まるが、作りがものすごく重層的で、とんでもなく面白い。
イージス艦の強さとは、簡単に言えば当時のどんな巨大な戦艦の主砲も届かなかったような超遠距離から、たくさんのミサイルを同時に打ち込むアウトレンジ先制攻撃能力を持っていることだ。しかし、それを運用する者、つまり現代の海上自衛隊の理念は、専守防衛。これは、矛盾だ。
また、我々のような戦争を知らない現代の日本人が普通に持つ「ヒューマニズム」が、戦闘という究極の局面でどんな風に作用するのか。話が進むにつれて戦闘を経験し「戦死者」を出していくうちに、ナイーブな現代の日本人だった若者たちの表情の変化に注目してほしい。
そして、ジパングの下の棚はこう。
いやー、物騒ですね。ちょっと見繕ってみてみましょう。
それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子
少し前に話題になった、日本学術会議の会員から外された加藤陽子さんの本。
まず、「日本人」を主語として、戦争を「選んだ」と能動態になっているタイトルに注目。ともすれば、軍部が暴走したとか、アメリカにおびき出されたとか、ABCD包囲網が、などと言ってそこで思考停止してしまいがちだけど、当時だって、議会はあったし、少なくとも形式上は民主主義だった。ということは、日本が戦争をしたのは、当時の日本国民がそう選んだ、というのが、筋じゃないか。まず、そこから逃げていないところがいい。
そして、この本のもう1つのユニークな点は、高校生との5日間の講義を基にしたダイアローグである点。「右も左も」分からない高校生との対話だからこそ、逃げることは許されない。素直な彼らは、上記のような質問を直球でしてくるのだから、それに応えられるのは、自らの選択に責任を持ち、人とオープンに対話する意思のある大人だけ、ということになる。
五輪書 宮本武蔵
この本は、10年前ニュージーランドに来る前に、成田空港の書店で買った。五輪書はたくさん出ているけれど、これは左のページに現代語訳があり、右のページにその英訳があるのが特徴。海外で身を立てる上で、心の支えになった本のひとつだ。
特に好きなところをいくつか引用してみよう。
水の巻 兵法での心の持ちようについて (p.52)
前略〜日常においても、有事においても、常に変わることなく、心を開いて物事を直視し、緊張せず、かといって弛緩することなく、偏ることなく、心を真ん中におき、一つのことにとらわれず自在に流動させ、その流れを止めることなく保てるように心がけなければならない。
静かな時も、心は静かでなく、速く動いているときは、心は早くなく、心が動作にとらわれることなく、動作は心にとらわれることなく、心配りをしながらも、体はその影響を受けず、常に心は充実させ、過分になることはせず、外見は弱くも肝は強く、心の内側を他人に気取られぬようにする。
これって、まさに後述する「動的平衡」そのものじゃないか。
火の巻 渡を越すということについて(p.108)
「渡」を越すということは、例えば海を渡る場合、幅の狭い海峡にいきあたることがある。〜中略〜 船路において、その危険な「渡」の場所を知り、舟の位置を知り、その日の吉凶を理解して、随行する船などを一緒に出すことなく一人で出航し、その時その時に状況に応じて、あるいは横風に頼りあるいは追い風をも受け、もし風が変わったとしてもに二里三里は櫓をこいで港に着く気持ちで船を乗りこなし、渡を越すのである。
みんなそうだと思うけれど、生きていれば追い風に乗ってスイスイいくこともあれば、凪で全く船が動かなかったり、向かい風で逆に後退してしまうおともある。特に、悪いことは立て続けに起きることが多い。
なんでもかんでもがむしゃらに頑張るだけでは、疲れてしまって長続きしない。大勢で勝つには、ちゃんと風を読むことが大事。その前提に立った上で、風に頼らずに「二里三里は櫓をこいで」頑張らなければいけないところはどこか、それを見極める目を持つ。
向かい風になった時、今は港まで二里三里なのか、それとも、出航したばかりで引き返すべきなのか。生涯無敗、と言われた宮本武蔵ならではの、継続して勝つための秘訣だろう。
動的平衡 福岡伸一
砂時計をひっくり返す。真ん中のくびれをサーっと落ちている砂は、動いているけど止まっているように見える。しかし、落ちる砂のストックがなくなれば、流れる砂もまた、途切れてなくなる。
機械は、分解していくと部品になる。元どおりに組み上げれば、また動く。しかし、生命はそうはいかない。人間をバラバラにして、1年後もと通りに内臓を詰めなおしても、その人は生き返らない。
なぜなら「砂」が落ちきった後だから。人間をバラバラにするということは、砂時計を破壊することに等しい。生命とは、ひっくり返せない砂時計と同じで、一旦落ちた砂は、時間を巻き戻さない限り元に戻せない。そのあといくら形を元に戻しても、もう砂はくびれの間を流れることはない。これが死だ。
生命の実態を、「動いているけど止まっているように見えるもの」と考えるのが「動的平衡」。合成と分解を絶えず繰り返すことで、エントロピー増大法則に一定期間、抗っている状態とも言える。
動的平衡は「平衡」を保とうとするから、極端な刺激、行い、改革は、いずれ必ず揺り戻しが来る。真ん中が一番、という話。
あと、腸管で吸収される物質は一旦すべてアミノ酸になるから、コラーゲン飲んでも肌には意味ないとか、記憶とは神経伝達のパターンが瞬間的に再現された状態、とか面白い話が盛りだくさん。
今こそ税と社会保障の話をしよう! 井出英策
「消費税は悪ではない」この副題に気を引かれて手に取った本。
デフレの状態で政府が財政支出をケチり、金融政策のみに頼った結果、資金需要が増えずに社会に回る通貨量が増えなかった。つまり、マネタリーベースは増えたけれど、マネーストックが増えなかった。んで一向に景気が良くならない。これが、私が理解する直近30年の日本経済の経済停滞のざっくりとした捉え方(合っているかは知らないけれど一応そう理解している)だ。
だから、いまやるべきは資金需要の創出、はっきり言えば「バラマキ政策」でみんなの生活を楽にすることだと思うんだけど、消費税というのはそれにブレーキをかける行為だから、悪手だと思っていた。
例のウイルスに喘ぐ現在、短期的にはそうかもしれない。しかし、この本を読んで、税を「社会に参加する費用」だと考えると、長期的には消費税はありだな、と思った。
経済学者の書いたリベラルな本だけれど、著者は本書を「日本社会の希望を語る本」としているが、プロローグは著者個人の絶望的な人生の記憶から始まる。
この本も、ダイアローグで進展していく、血の通った対話集だ。
教師のための「教える技術」 向後千春
「厳しく教える」という言葉がある。特に、飛行機の世界では、将来持つことになる責任の大きさから、絶対に甘えを許さない雰囲気が強い。だから、できないのは学生の努力が足りないからで、所定の時間内に一定の水準に技術が達しなければ、その学生はパイロットになることを諦めなければならない、と。
確かに、そういう面もあるのだけれど、自分自身が飛行教官をしていたときに、これは簡単に悪用できるな、と思った。何しろ、うまくいかないことの全てを「学生の甘え」に還元してしまえるのだから。しかし、教える方はどうなんだと。それこそ「教官の甘え」ではないのか。
飛行機を飛ばすことと、それを教えることは、全く別個の技術だという問題意識から手に取ったこの本には、こうあった。
一生懸命なのだけれど教え方がヘタな教師がいます。なんでこんなに一生懸命教えているのにわかってくれないのだろうと思っている教師です。
それって俺のことじゃん。