よく見て描きましょう。
自分の写真をよく見て自画像を描きましょう。
という図工の課題。
当然、サラサラと描けるような子はまず居ません。
乱暴に言えば、小学校低学年までは、絵画は自分の心象風景をぶつける処だし、当人にも実写と同様のクオリティで視えている訳でないですから、描いてる方も、技術的なコンプレックを感じることは少ないでしょうが、年齢を重ねるごとに、上手に書きたいという意識が強まっても然るべきです。しかし、何も無しで上手になんてなかなか描けるものじゃありません。
そもそも、よく見て描くとはどうやれば良いのだろう?
どこをよく見れば良い?顔のどこから描き始めたら良い?
そのような具体的なテクニックやtipsの指導をしてこそ、課題が達成できるのではないのでしょうか?
しかし教師の言葉はよく見て描きましょう。の一言だけです。
たまさか上手く描けた子は巡回の教師に褒められもしようが、ほとんどの子は試行錯誤の上、目指す絵通りには描けないから、途中で飽きてしまう。そんな状況で、教師から掛けられる言葉は「もっとよく見て」である。本人は一層懸命見ているのですから、そりゃぁ嫌になるのも当然でしょう。
まず、絵を上手に描けないとは、どのような心象なのでしょうか。
一つは自分の表現したいイメージが、自分の中で固まらない。もう一つは、思ったイメージ通りに表現できない。ですね。
だったら、これを埋めるように指導すれば良い事ですね。
どのジャンルでもそうですが、技術レベルは試行回数とほぼ正の相関があります。これが厄介で、ある程度上手に描ける子は描く事に抵抗が少ない。だから、たくさん絵を描く。たくさん絵を描くから、更に上達し、自分の持つイメージを正確に形に現す事が上手になります。逆もまた然りで、絵を描く事に苦手意識を持った子は、自分から描く事をしなくなるから、上達はしない。そのため、差は激しくなり、自分の持つ苦手という意識を更に強調する事になります。
では、具体的にどう指示すれば良いのか、私は絵に関してはさして上手に描ける訳ではないので、私なりの描き方しか紹介できませんが、ポイントは4つだと思っています。
1つ目、構図を決める。画面の中に何をどの大きさでどこに書こうか。画面をどう使うかの構図を先に意識させる。これにより、出来上がりのイメージを目視しながら作業することができ、イメージを作り、掴みやすくなります。
2つ目、バランスを取る。顔を描くのであれば、耳は目の横、目の位置は顎から頭頂の長さの中央とか、大体のバランスが存在する。まずはそこを具体的に指示し、意識させる。長さや大きさのバランスを得る事で、思った通りにならず変な形になってしまう苦手意識の半分は消せるのではないでしょうか。
3つ目、アタリをつける。先に意識させた構図とバランスを先に画面に落とし込む。この段階で大切なのは、どこに何を描くかが分かれば良いだけなので、
とにかく描き込まない。事です。描き込みませんから試行錯誤を十分に行えますし、アタリを十分につける事により、画面の中で完成形が見えて来ます。この二つが目標です。
4つ目、描き込む順番。ここまでの流れで見えていると思いますが、先に完成させるのは、大雑把でも画面全体を先に作る。一方で、細部を作り込むのは後回しです。全体を優先する事で、完成形のイメージを持ちやすくなるなりますから、個々の作業の目安を立てやすく、自分の中での完成への期待感と完成までの道筋をつけやすくなります。
ですが、先に細部を作り込みすぎると、他の部分が描けなくなり完成しないという弊害が出ます。描いている本人が満足して(又は飽きて)しまい、完成に辿り着けない場合。もう一つは細部の書き込みに時間を割かれ、用意された授業時間中に完成に至らない場合。です。
ここまででご理解いただけたと思いますが、最終的に目指したいのは、「自分が納得できるレベルで、時間内に完成を見る。」事です。
クオリティは兎も角、完成させ形にできたという結果は、満足感をもたらし、成功体験としてこどもの成長に繋がります。一方、完成しなかった場合、児童に宿題、とか、昼休みや放課後を使って続きを描き、完成させなさい。と、多くの場合そうなります。作品を文化祭で展示しようなどという計画がある場合など、尚更です。この居残り作業は子供達にどういう気持ちを誘うでしょうか。本来なら友達と遊んだりできた時間を拘束されるのですから、懲罰的な意識を持ってしまう事も大いに考えられます。
居残ってでも完成した事による教育的価値と、居残った事による萎縮効果を比し、どちらを選ぶかとなった時、本来なら大層頭を抱える事になるのとは思いますが、往々にして、居残りさせて作品を完成させる方の選択肢を選ぶ方が多々じゃないでしょうか。
ここで書き殴った内容が、理想論である事は私も重々承知しています。
全体の構図と言ったところで、児童画では描きたいものが中央に大きくドンで傍には、後で思いついたものがちょこまかと入るのに、先に全体の構図をどう決めろというのか、とか。時間内に完成させるには、そもそも時間配分計算をが出来ないのに無理だろうとか。
その通りですね。だからこそ、図画工作の指導が、絵を描く手順、創作の手順といった技能の指導が必要になるのでは無いのか?と思う次第。
苦手を克服させるには、まず完成させろ。完成させるためには、よく見て描きましょうだけじゃ辿り着けない。だから、具体的に何を見てどう描くかを指導せにゃいけんよね。という事です。少なくても、私は「よく見て描きましょう」で終わらせるつもりはないし終わらせてはいけないと思います。
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