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シェア読①

友だちと読んだ本をシェアしあう、シェア読会を開催しました。
その内容が不登校に通ずるものがあるので記事にしました。

私の場合、何を読んでも不登校にこじつけてしまいますが・・・


じぶんでできる浄化の本

友だち、奈々ちゃんのシェア

浄化の方法はたくさんあって、例えば、塩、香りなど
今日読んだところは、いちばん最後のところ
みんなで地球を浄化しましょうの話
これからどんどん地球は良くなっていく
ネガティブ→デトックス期→ポジティブ期
のデトックスの時期、宇宙規模の浄化の時期
私たちに欠けているのは未来をイメージする力、想像力

私たちは様々なマインドコントロールによって、喜びになるものを欠如させて、未来を見ることを奪われている。
それが苦しみの根源。

世の中の人の意識を変えられればいいんだけど・・・
例えば、学校の代表だから、自分が思ってないことだけどこれは言わなければならない、とか、偉い人とか役人とか、そういうのあるよね。

大事なのは、
思う 言う 行う
三点セットなんだけど、
何のためにそれをやっているかわからない、喜びが伴わない、ただのロボットになってる。

自分の未来を幸せにするには
未来を描き 思い、言って、行う こと。

教育のことも書いてあって
ホントは何を選んでもその人の喜びであるのなら肯定されるような世の中でなければならない。

今はまだ嘘の世の中
自分のやりたいようにやれる。それが許される世の中にならなければ。
それができないからみんな苦しんでる。
そういうことがなくなれば悪さをする必要もない、土地を奪い合う戦争もない。そういう必要がなくなるから。

教育の問題点

どうしてそれができないかというと、私たちが教育をちゃんと受けてないから。
私たちは未来の作り方を深く考えずに成長してきた。
何を望んでもいいよと教えられない。

そうしているから

こんな夢みたいなことを思うなんて恥ずかしい

という気持ちが芽生えてしまう。

更に
経済的な観念が入り込むから

これだと将来食べていけない
そんな夢みたいなこと言ってないで

とか言われてきた。

地球が混とんとしている理由はこれ。
どんな生き方を望んでもそれが肯定されるようにしていく。


今日、誰のために生きる?

----アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語

ナミのシェア

shogenさんが、京都の雑貨屋さんで見たペンキアートに衝撃を受けて、仕事を辞め、アフリカに行くことにした時、お父さんが

「絵で生活していけるのか」

と言ったシーン。

これ、「いいね♪」と送りだした場合だったらどうだったんだろう?

と思いました。

反対されたからバネみたいなエネルギーが湧くっていうのもあるし、いいね♪
とフラットな気持ちで出発したら、それも広がりを見せると思う。

この時代、葛藤にリソース割いてていいのか

だけと葛藤にリソース使うのって・・・
うん、まぁいいんだけど・・・

でもやっぱり葛藤にリソース使うより、失敗してみてそのあとどうするかにリソース使う方が、私はその方がいいな。
もちろん失敗するとも限らないけど、だったら尚更葛藤にリソースを使うのはナンセンス。

だから、私がもしそのお父さんの立場だったら、色々思うところはあっても、いずれにしても「いいね♪」という言葉しか言えないなーと思ったのでした。

これは奈々ちゃんのシェアにシンクロしてました。

自分の喜びのための行動

そして、
本の後半、ひすいこうたろうさんが書かれた部分もシェア

shogenさんがキリンの絵を頼まれて書いているときに、尊重がやってきて伝えた言葉。

「それは、自分のために描こうとしているのか
それとも人のために描こうとしているのか?
人のために描くのはいいけれど、
そこに自分の喜びもないといけない。
人のためにやって人が喜んだとしても、
自分がまったく喜びが感じられないんだったら
それはやめとけ」

いきなり職場でそう言われたら、フリーズしてしまう人もいると思うのです。

と書かれていました。

ここの箇所、
私たち(奈々ちゃんと私)は自営で仕事をしているから、自分の喜びで人も喜ぶ働き方を自分で作りやすいかも、と思いました。
そして、私たちは自分の気持ち次第で毎日そうできる。

私とあなた繋げる本音

更に読み進めると、自分と相手の関係についての図が出てきて、真横から見たら砂時計の形になっている。
私とあなたの間は、砂時計の砂が落ちる通路だそうで、

自分の本当の気持ちに嘘をつけばつくほど、個の真ん中の通路が狭まり、他者との繋がり(回線)が細くなってしまうの。
無理して他人にいい顔をしている人は、一番大事な自分に嘘をついているので、他者との繋がりが細くなっていくのです。だから、無理して他人のためにやっていると、必ず問題が起きると村長は言っていたのです。

中略

伊勢神宮の神官さんの言葉
「自己犠牲は、神さまがもっとも悲しむ生き方」

と書かれていて、

あーこれ、
私は不登校の発信を学校や教育委員会にしているんだけど、

先生方と話していると、先生方って自分の言葉があまりにもないなと痛感するんです。

先生の本音が出てこないから繋がらない

私の話を聞いて、先生は何かを個人的に思われるとは思うけど、
出てくる言葉が当たり障りない言葉ばかりで、本音は全く聞けない。
それからレスポンスが無さすぎる。

「よく勉強されてますね、よく調べられましたね」
「自分たちも全てのことを把握できるわけではありませんから」

とか、そんな返しが来る。
ホントは学校や行政が親や子どもに提供すべき情報を準備できてないからみんな困ってて、私たちは自力で情報収集してきた訳で・・・

これだけ話して他人事のリアクションになるの何なんだろう。

あなたの学校に例え一人でも学校に行けない子どもがいたら、それは学校・先生が自分事としてどうにかしなければ

的なことを木村泰子先生はいつもおっしゃってます。

子どもたちと日々接している先生方がこんなことでは、子どもたちは大丈夫なのだろうかと怖くなりましたもん。

先生に欠けてる3点セット

奈々ちゃんのシェアしてくれた内容の

大事なのは、
思う 言う 行う
3点セット

未来を描くこと、
どうしてそれができないかというと、
私たちが教育をちゃんと受けてないから。
私たちは未来の作り方を深く考えずに成長してきた。
何を望んでもいいよと教えられない。

私が先生方と話していて、
「思う」
があるのか無いのかは不明

明らかに
「言う」「行う」
は無い・・・

チーン・・・

何かあれば相談してくださいね

ってよく言われるので、話を聞くだけで終わるんだ・・・
なにこれ・・・ってなる。

「言う」「行う」
が先生には無いんだよ・・・

これじゃお互いの気持ちが伝わらなくて、何のためなのか分からなくなる。
モンスターな親に対応する暇がない?
私が先生方の予定調和を崩しているんだろうか?
なんかすいません・・・
みたいな気分になるんです。

それでもやっぱり本質を考えると、

まだまだ学校では、

「こんな夢みたいなことを思うなんて恥ずかしい」

と思わせられてしまう教育になっていて

「これだと将来食べていけない」
「そんな夢みたいなこと言ってないで」

という言葉をダイレクトに使わないとしても
そういうイメージを子どもたちにマインドコントロールして
押し付けている部分は往々にしてあるんじゃなかろうかと・・・

先生の自己犠牲で教育は成り立たない、むしろ・・・

そして、先生はとても忙しいでしょうし、
これって自己犠牲で子どもたちと接している節もあるなーと。

まず、先生が自己犠牲をやめなければ、学校教育は良くならない。
とにかく、大人たちが未来を描きはじめなければね♪
そして、子どもたちには「いいね♪」を連打♪

私が参加する不登校親の会「明るい不登校」で、母たちは

・お口チャック修行(子どもにとやかく言わない)
・させたいちゃん(させたくないちゃん)撲滅キャンペーン
・質の高い自己決定(忖度しない自己決定)

を大切にしている訳で、
生活習慣、学習習慣を身に着ける以前にこの3つが大事なんです。

私たち大人は「できる」ことにこだわりすぎてきたのです。

そういうことも、この本も、奈々ちゃんの本も、
これと同じことだなーと感じました。
シンクロしまくりでした~

私の発信は不登校のことだけど、不登校のことに限定されることではないと思ってるからこうして不登校の活動を続けているのですが、

私たちが不登校の情報収集をし続けて得たこと、実践してきたことは、地球の浄化に繋がるんだー!
びっくり!

でも、本当にそれだけのことだと思って続けてきました。

先生方にこういうことが早く届いて欲しいです。
そうすれば、学校の仕事はもっと楽になる、スムーズになる。

私たちが不登校の発信、活動を続けるのは先生のためでもあるのです。
でないと、子どもが守られないですから。
不登校を深堀すると、結局先生のマインドと働き方に行きつくのです。

どんなに言葉を尽くしても、これが何十年も届かない悲しみたるや・・・

先生、自己犠牲を今すぐやめましょう!

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