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不登校親の会はオープンダイアローグ


不登校と生活習慣の誤解

上の子は中2の時に不登校になり、それから生活習慣が乱れました。
不登校親の会で、色んな人の体験談を聴くうちに、生活習慣、メディア時間のことをあえて一切何も言わないようにした方がいいのでは?という気持ちになりました。
その方が心のエネルギーの回復が早いのではと思いました。

現在高2で、何もないわけではありませんが、とても元気になりました。
早くと言っても3年かかりましたが私は早い方だと思います。
あれこれ指摘していたら、子どもはより一層くるしくなっていただろうと。

下の子は現在小6で、1年ちょっと前から不登校です。
1ヵ月半前のある日、自ら学校復帰を試みたのですが、そのあと眠りネズミのようになってしまいました。
元気がなく夜眠れない。元気がないから運動という段階ではない。それでも少しずつウォーキングしたりしていますが・・・
1ヵ月半前の学校に登校するまでは、学校は行かずとも、夜も寝れていて、キラキラした感じがあったのに・・・

小さい子どものように、誘導したり、生活リズムを変えることで眠れるようになるという訳ではなさそうです。
心の問題かなと。だけど病院に行くということも何か違う。上の子の時もそうだったように。

生活習慣が乱れるから学校に行けないんじゃなくて、学校が苦しくて心が疲弊して生活習慣が乱れる・・・。
でも世の中的には生活習慣が乱れるから学校に行けないと思われがちなんだなーということを、悔しいですが痛感しています。

正論のアドバイスを受け入れる余裕がない

親の孤独が子どもに与える影響って、やっぱりあるかもしれなくて、

自分なりにやっていると余裕がなくなる場合がある
でも頑張っているから指摘されるのは辛い

というはよくあることだろうと感じました。
(きっと子どもも同じことだと思います)
そこでちょっとでも誰かと対話的に話すことができたのなら、対話の中からヒントを得て、自分でやり方を考えられる余裕ができて、何かが改善されるというのは、不登校の親界隈であるあるなこと。

どうして子育てってこんなにも余裕がなく、孤独を感じるものなのだろうか。
振り返ると涙がでます。覚悟もなく子どもを生んでごめんなさいと、誰に謝るでもないですけど、そういう孤独がありました。だから正論が怖いと感じるのかもしれないです。

だから、支援者の方が親に対して、正論をぶつけるのではない接し方をされることがホントに大切なのです。
世の中には親に対してのマルトリが結構ありますから。
産め産め言われるのに、産んだらすぐに「親なんだから」とか言われて、全て当たり前のこととされて、褒められたいわけじゃないけどさすがに苦しい。

対話の場が無さすぎるし、対話することを恐れている

私たちは不登校親の会で、みんなで色んな話をしています。
対話の場です。
これはいわゆるオープンダイアローグ的な場だと私は思います。

不登校のことを知れば、子育ての孤独がどこから来るのか、子どもへの接し方で大切なことは何か、もちろん答えはないですけど、対話から自分で見つけるということができます。
それが孤独解消に繋がります。
ただ、そういうグループディスカッションみたいなものに抵抗がある人も少なくないわけで、ディスカッションに参加せずとも上手く情報が届いて、親の安心安全が、子どもの安心安全につながり、子どもが守られればと願っています。

私が参加している不登校親の会

ここでみんなで不登校のこと、教育のことの情報交換をしています。
みんなで「不登校段階表」も作りました。


お住いの地域でリアル参加できる場を探すのもおすすめです。


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