#28 コンセンサスをアジェンダした上でバジェットしたものをASAPでアサインしてください
ぼくは今、IT系のベンチャー企業で営業として働いている。
ITでベンチャーなもんだから、それなりに「カタカナ語」に触れることが多い。
よく世でいう「コンセンサス」「アジェンダ」である。
正直「コンセンサス」は仕事のシーンで使われているところを見たことがないが、一方で「アジェンダ」はエグいくらいよく使ってるなぁ、など思う。
「クライアントからエビデンスの提示を求められているから、ASAPでドキュメントをサマっといてください。」
昔掲示板サイトの2ちゃんねるで「日本語でおk」って言葉がありましたけど、何度チャット欄にそれを打ち込もうと思ったかわからない。
このカタカナ語、「なんかキモイ」「意識高い感じがする」「鼻につく」「自分に酔ってる感じ」というネガティヴな印象だけでなく、シンプルに情報が伝わらねぇのでずっと毛嫌いしていた。
でも今回は視点を変えようと思う。
なぜ彼らは、カタカナ語を使いたがるんだろう。
これを考えてみた。
ひとつは「かっこいいから」だろう。これは疑う余地もない。
他者から見た時には「なんかキモイ」になっているのだが、当事者、および当事者と同じ文化圏にいる人たちにとっては「なんか意義のあることをしている」感が言葉からほとばしっていて、イイのではないだろうか。
もう一つの理由が、ぼく個人としては結構お気に入りの推察なのだが
「意味の曖昧さに安心感を抱いているから」。
カタカナ語にすることによって、物事の抽象度があがる。いや、抽象度が上がるっていうのは間違いだな。日本語で定義した言葉じゃないので、お互いの認識している意味の間に余白が生まれる。
で、その余白はお互いの自由な想像で埋められるから「なんか伝わってるっぽい」という、曖昧さに安心できるのだ。
例えば、最近よく耳にする「DX(=デジタル・トランスフォーメーション)」。
「ITの力を使って、なんかイイ感じに効率化すること」くらいしか意味の定義はされてないんだけど、みんなこぞって使いたがる。
「あの会社、DXに力を入れてるらしいよ」
「うちはDXでお力添えができますよ!」
・・・本当に同じものを指してるのか?ってなもんである。
けど、これを使いたい気持ちはなんとなくわかる。
相手に深く踏み込むことなく、相手とコミュニケートできた気分になれるからだ。
元来日本人は「空気を読む」「行間を読む」のように、言葉に余白を残してコミュニケーションをとっていた種族だ。だが、グローバルビジネスという領域においてこれはある種御法度。ちゃんと言葉を交わそうぜ、という考え方が台頭してきた。
その文化と一緒に流入してきたのが、「カタカナ語」だ。
なんかふわっとして耳障りが良く、伝わるイメージも自国の言葉じゃないから抽象的だ。
なんか先進的なことやってそうな感じも出るぞ。
こういうことでみんなカタカナ語をしきりに使い出したんじゃなかろうか。
だとすると「踏み込んだコミュニケーションを嫌う日本人だからこそ、外来語に頼るのである」なんていう、とてもパラドキシカルで面白い結論になる。
実際のところどうなんでしょう?
もし研究されている方とかいらっしゃったら教えて欲しいです。
「いやいや!こんな推論もあるぞぉ!」という方も歓迎しています。
一緒に「カタカナ語考」を深めましょう(?)
ではでは。