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わたしの存在証明

 またしても気が滅入ってきた。部屋の電球は不気味にジーっと泣いている。後ろに誰かいる気がしたがそんなことはない、ここは独りだ。冷蔵庫からペットボトルを取り出してお茶を飲む。異臭がする。腐ったキャベツの匂いだ。冷蔵庫の中に住んでいるのだろう。遠くのアパートの一室から女がこっちを見ている。ウィンクをしたようにも見えるが、遠すぎてわからない。なんなら女なのかもわからない。だけどそうだったら良いなと思った。お茶を飲み切って空になったペットボトルを部屋の隅に放り投げた。最近はネグレクト気質になっている、そしてそれに少し酔っている自分がいる。

 どうしようもない気持ちだ。あの天才ゲーテだって鬱病になったらしい。つまり不可避なのだ。 
 こんな気持ちの時は、自分で更にややこしく、こねくり回すしか無い。物事を複雑にするために、今、PCの前に座っている。目の焦点が合っていない気がするがまぁ良いだろう。さっきから右耳の様子がどうもおかしい。きゅっきゅっと鼓膜が何かに押されている感覚。キーボードを叩く音が心地良い。イイカンジ。
 冷蔵庫は定期的にぐおーっと大きな音をたて、存在証明する。わたしも梅田なんかで雑踏に揉まれていると存在証明したくなるが、通報されそうなので止めている。これが現代人としての役割だ。白物家電には白物家電の役割をきちんと担ってほしい。部屋からは嫌な臭いがする。

 机の上をとても小さな虫が歩いている。目の前に来た。今そこにいる。これも存在証明だろうか?その虫を人差し指に乗せ、口に運ぶ。お前はわたしのなかで存在し続けたら良い。命に感謝だ。
 年齢を重ね続けてもなお《地球は全ての生物のためにあるんだぜ!人間だけのものじゃないんだぜ!!》と幼稚園児の様な考えがなくなることはない。折り合いがつけられないんだ。社会とも世界とも。みんなみんな生きているんだ、友達なんだ。そう習っただろう?
 だけどどう考えたって地球は人間のために運営されてるし、それを放棄するということは恐ろしいし、考えるだけで罪だ。ヴィーガンにはなりたくない。昆虫食なんて以ての外だ。お肉はとてつもなく美味しい。だからわたしの中で存在し続けたらいい。
 日本人で日本に不利益なことを考えるやつは国賊だ。同様に人間の君たちは人間の利益を考えなければならない。わたしも本当は人間の利益だけを考えるべきなのだ。だけどゴールデン・レトリーバーを見ているといい気分になる。できればゴールデン・レトリーバーの利益も考えたい。たぶんゴールデン・レトリーバーは良いやつだから、「僕たちは人間と一緒に居れる、それだけで幸せなんだワン!」って言ってくれると思う。かわいい。そんな優しいゴールデン・レトリーバーを虐める人間がいたら、その人は死んでもいいと思う。
 車からタバコを捨てる人間も死んでいいと思っている。それは仕方ない悪意ではなく、完全なる悪意だ。街歩きでゴミ箱が見つからなかったのとは訳が違う。冗談で言っているんじゃない、わたしは大真面目に死んでいいと思っている。
 
 かく言うわたしも一度だけポイ捨てをしたことがある。子供の頃、菓子の食べ歩きをしていた。その梱包があまりにもベタベタだったので、食べ終わりのゴミに困った。いつもならゴミを畳んでポケットに入れて家まで持って帰るが、綺麗好きだったわたしはベタベタが許せなかった。だから捨てた。当時からネグレクト気質であれば、そんな事も気にしなかったかもしれない。だけどわたしは潔癖で、純粋で、若かったのだ。
 捨ててしまったことをずっと覚えている。罪悪感に苛まれた。モヤモヤしていた。そうやって死ぬまでに積み重ねていくモヤモヤと折り合いをつけていくのが人生だと思う。
 だけどわたしにそれは難しい、罪人なのだ。ラスコーリニコフなのだ。ソーニャはどこにもいない。
 いままで傷つけてきた人々、あらゆる後悔から逃れたい、許されたい。もっと楽になりたい!
「あなたが穢した大地に接吻しなさい」あの美しい声に従いたい。もう一度清らかな生命を授けてほしい。
 けれどもわたしはキリスト教を信じてないので神は微笑まないだろう。変な人がいると通報されるだろう。それが清く美しい行為だとしても通報されるだろう。わたしなりの精一杯の存在証明だったとしても通報されるだろう。ガラの悪い大阪府警に説教されるのはごめんだ。

 そんなのは嫌だから今日も独りでいることにする。

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