同じものか、違うものか
テセウスの船って、何か知っていますか?
テセウスの船はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。
<ウィキペディアから引用>
昨日の夕食時間、息子がおもむろに聞いてきた。
「えっ!なにそれ?わかんない。」
『自分の言葉で一日を始めよう』という朝活に参加している私は、毎日なにを書こう?と記事のことばかり考えている。
そんな私を見て、息子なりに話題を提供してくれたのだ。
船のパーツを少しずつ取り替えていき、ついに全部のパーツが取り替えられた時、それは元の船と同じと言えると思う?
と、問いてきた。
私は、単純に何も考えずに「違う」と答えた。
「その理由は?」
「だって、全部パーツが取り替えられたから元の船じゃないでしょ!」
息子曰く
じゃあ、人間で例えると、人間は毎日細胞が新しく作られていて何ヶ月かすると全部新しい細胞になるんだけど、そしたら違う人間になるの?
はっ!なるほど~
そう考えると同じものだね。
んんん・・・・・
半分、納得したような、まだしていないような、、、
ちょっともやもや感
そのもやもや感を書いて、私のブログを読んでくださる方にも考えてもらおう!とPCを打ってる次第です(笑)
ちなみに、ウィキペディアでは、色々と解説していましたよ。(以下の文)
プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。(ウィキペディアより引用)
ギリシャ時代の人々も喧々諤々していたのですね。
話のネタに、皆さんも周りの人に聞いてみて!
どんな答えが返ってくるかしら?