上限値超え後の日々
11月11日(月)に血液検査の結果、腫瘍マーカーの数値が上限値超え。
10月に続いて2回目の上限値オーバーで、
“再発・転移”が一気に目の前に迫ってきました。
日光・鬼怒川へ
1か月ほど前、母の“心配だから顔を見に行く”が発動。
やっぱり家に招くのは面倒なので、6月の伊豆旅と同様に、
今度は両親が行ったことがないという日光・鬼怒川旅を提案し、
11月12日(火)〜14日(木)の2泊3日で行ってきました。
3日間を通し朝食、昼食、夕食とモリモリ食べる娘を見て、安心した様子の両親。
6月は1食0.5人前程度で間食もほとんどなしだったものが、
1食が少食の方の1人前と同等程度で、間食も少々にまで復活していますから。
さらに体力も6月に比べれば、大幅に回復しているのでは……。
日光に到着後、バスで明智平〜華厳の滝へ行った1日目はともかく、
神橋から輪王寺や東照宮を散策した2日目、
鬼怒川沿いを吊橋まで歩いて土産物屋などを巡った3日目は歩数1万歩以上。
それでも「疲れたー!」ということもなく元気で、
両親は満足して地元に帰っていきました。
心中複雑
日光・鬼怒川旅に出かけたのは、
2回目の腫瘍マーカー上限値オーバーが判明した外来診察の翌日から。
両親には検査結果を明かしませんでした。
12月の検査結果次第では、「何事もなかった!」になる可能性もあるわけで。
そうなったらぬか喜びならぬ、ぬか心配です。
しかし、明かさなかったがゆえに、
何かにつけ「順調に回復してるね」といった旨の言葉が飛んできます。
それに「うん!」とは答えられず、毎回お茶を濁し……。
それがなんとも心苦しいというか、モヤモヤモヤモヤ。
来月、また数値が高くなっていて、再発・転移の可能性がある、
だから抗がん剤治療を始めると報告したら、
早く言っておけ、そうなる可能性があるなら知らせろって言われちゃうのかなー。
考えたんですけどね。
気持ちの上下を考えたときに、何もない状態を0、
抗がん剤治療開始(再発・転移の可能性)が−10だとすれば、
その可能性を示唆しておいて−5くらいまで落としておくのがいいのかな、って。
そうすれば、何もなければ気持ちが+5上がり、
数値が高いままだとしても落ちる気持ちは−5。
一気に−10落とされるよりはゆるやかでいいのかな、って。
旅の間、何度も言う・言わないをウロウロしました。
でもやっぱり、心配する期間は1か月でも短いほうがいいと判断して、
報告しないまま3日間を過ごしたのでした。
ことあるごとに、ではなくほぼ常時
初めて腫瘍マーカーの数値が上限値を超えた10月7日(月)。
その後にアップした記事「闘病」では、
「ことあるごとに再発・転移の可能性がチラつき不安になる」と記していました。
それから1か月経って、より高くなった再発・転移の可能性。
11月の外来診察日からは、ことあるごとではなくほぼ常時、不安で。
12月に悪い結果が出たあとのこと、さらにその先のこと、
考えたところで答えは出ないのに、ぐるぐるぐるぐる。
行き着くときは、「遺影は……」なんてことまで考えてしまいます。
もしかしたら今が一番、不安なのかも、とも思う。
来月、結果が出れば、それが悪い方向でもやるべきことは決まってきて、
あとはやるのみで、無駄にあれこれ考えずにすむのかなぁ、と。
良い方向ならなおスッキリですしね。
ここはどうにかスッキリ!になりますように⭐︎