鈍く、冷たい世の中で 運動神経が悪いということ Vol.43
先月、毎朝の通勤で利用してきた駅で人身事故が起きた。ホームに入り切らず止まっている車両が見え、ただならぬ様子を察知したら、事故に遭ったのはいつも乗車する1本前の電車だった。「おじいさんが、線路に落ちてん」改札前のベンチに腰をかけた人が、誰かに電話で伝えていた。通話が終わったらすぐさま、「見たんや、目の前やで」と近くの人へ話しかけていた。あの人は、何をそんな得意気に喧伝したかったのだろうか。
「ふざけんな」「迷惑」―朝の通勤ラッシュも、これからピークを迎えようかという時間帯。ネット上では、例によって非難の声が殺到していた。前記した目撃者の証言が確かなら、事故は高齢男性が線路へ落ちた手提げ袋を拾おうとしたことが原因だったようだが、ネット民たちは、何も知らずに自殺と決めつけている様子だった。人が、自ら命を絶つ。そんな極限の選択でさえ、この世では「ふざけた迷惑行為」でしかないらしい。
今月から、心療内科へ通い始めた。5年ぶりに地元の診療所への通院を再開するまで、思いのほか時間がかかった。より通院しやすい職場近くの診療所は、しばらく先まで予約が埋まっていた。勤務時間中に通える職場内の診療所に至っては、「先約」が多過ぎて新規の受付ができないらしい。わが職場をはじめ、この世の中は大丈夫なのかと思うと、予約の段で気が滅入りそうになった。
職場に泊まること3日、アパート住まいの決行。先月来、犠牲を払ってばかりの自らの行為に、客観的な意見を求めたくなった。かつての上司や、外部の事務局へ話した結果、揃って勧められたのが現在の上司への相談だった。意を決して最近の状況を伝えてみたところ、休日出張の交代を指示してくれた。配慮には感謝したいが、心境は複雑だ。私がより望んでいるのは、年に数回しかない休日出張ではなく、もっと日常的な負荷の軽減なのだ。
現在の上司は、いつも遅くまで残業しているのに、毎朝5キロ以上の道のりをランニングして通勤するほどの気力と健脚を誇る。かくもタフな人に、私の苦悩をわかってもらうのは至難の業だろう。何ごとも人間には個人差があるが、ストレスや疲労への耐性もまた然りで、ある人にとって健康を脅かされるほどの仕事量でも、こなせる人は実在する。ただ、そんな強靭な人を基準にしてよいのか。健やかな人しか生きられないのが、真に健康的な社会なのか。率直にして、切実な疑問を抱く。
耐えられる人間には、耐えられる。だから、耐えられないのは本人の「自己責任」。人の命が奪われても、面白おかしく反応し、冷たく切り捨てる世の中では、それが総意なのだろうか。こんな世の中なら、これからも多くの心療内科は予約が取れないだろうし、わが職場の診療所も、新規受付を再開できないままだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?