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一緒にがんばろう

昨日は友人の結婚式だった。
ひとりだけ県外に引っ越したわたしにとっては、ちょっとした同窓会のようでもあった。

マンションを買った人
秋に子どもが生まれる人
自分の誕生日にロレックスの時計を買った人
新しいビジネスを始めた人
酒もタバコもやめた人
年内に結婚する人
転職した人
隣町に引っ越した人

あたり前だが、1年半会わないあいだにみんなちょっとずつ変化が起こっていた。
でもわたしは、引っ越した以外になにか変化があっただろうか。
「酒もタバコもやめた人」に近しく、飲みに出歩かなくなったぐらいか。
それも自分の意思ではなく、近所にちょうどよいお店がないからだ。

∽∽∽

久々の再会で話は尽きず、最後には「今年じゅうにまた会いましょう」とか、「今度そっち行きます」とか「いやいやそっちとこっちの中間地点で会おう」などと鼻息が荒くなる。

…でも今までとは違うよ。
「今日飲める?」
「明日空いとる?」ができる距離にはいないよ。

最低でも1泊。
社会人にとって友だちに会うために1泊というのは、なかなか実現が難しい。
出張やイベント、それこそ結婚式など近くに足を運ぶきっかけがなにかあれば別だが、そうでなければ誰かが声をあげない限り永遠に果たされない口約束のまま。

「また」にわくわくしながらも、頭の片隅では「どうせ実現しないだろう」と冷ややかな自分がいる。むしろ徐々に冷ややかさのほうが勝ってくる。

「また会おう」
「また話そう」
たくさんの「また」が行き交うなかで、ひとりだけ「また」を言わなかった友だちがいた。

最近どう?がんばってる?
こんなことに悩んでいて…
こんなふうにがんばっていて…

共通の友人の話題にも及ぶ。
彼女は病気の治療のために遠くの街へ引っ越して、その後の消息を誰も知らない。
考えたくはないが、もしかしたら…もあるかもしれないと聞いた。
また会いたくても、もう会えないかもしれない人だっている。

そんな話をひと通り終えて、彼はこう言ったのだ。
「一緒にがんばろう」

「また」が点だとしたら、「一緒にがんばろう」は線だ。
同じ場所にはいなくても、互いに互いの「善」に向かって同じ時間を共有できる。

∽∽∽

わたしがこの1年半で変わったことは、すこしずつだけどいろんな場所に出かけられるようになってきたこと。
行くまでは億劫だし、面倒くさいし、だけどその気力がすこしずつ戻ってきている。

だから、いつかまた。
それまで一緒にがんばろう。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたがまた会いたい人は誰ですか?

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