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大切なものを落とした2024
夕飯をひとりですます日がわりと多い。
うちの夫はちょこちょこ、同僚とラーメン屋や王将に寄って帰ってくるから。
その日の買いものをまだすませていなければ、お惣菜に割引シールが貼られるぐらいの時間にスーパーに出かけていく。
だけどねえ、ここ1年ぐらい「あ!これ食べたい!」とピンとくることがないんだ、これが。今日もそうだった。
決して繊細な舌の持ち主ではないけれど、スーパーのお惣菜然り、コンビニのお惣菜然り、わたしにはちょっと味が濃い。インスタントやレトルト食品もそう。
揚げ物の油っこさも胃もたれしちゃう。
その割に、ちょっと高い。
かといって、自分ひとりぶんだけ夕飯をつくるのもだるい。
自分でつくった夕飯、あまりおいしくないし。
人につくってもらった食事はなぜあんなにもおいしいのだろう。
旅行でおいしいものをたくさん食べてきたけれど、ふとした瞬間に炊飯器の残りごはんでかきこむたまごごはんとか、お茶漬けとか、名もない和え物とか、冷蔵庫の残り野菜でつくる汁物が恋しくなる。
たまごごはんとお茶漬けはよけておいても、想像されるおかずの類は自分でつくったものではない。
母がつくったおかずである。
とはいえ母に教わったレシピどおりにつくっても、母の味にはならない。
第一、炊事が好きではない。
時間がかかるわりにおいしくないし、時間がかかるわりに食べるのは一瞬だから、割に合わないと思ってしまう。
結婚したばかりの頃は、メインのおかずと、小鉢と、汁物の3品をつくるだけで3時間ぐらいかかっていたが、ここ数ヵ月は30分もかけていない。
すでに下味のついたお肉やお魚を焼くだけだし、小鉢はお惣菜をお皿によそうだけだし、汁物もカット野菜に鍋の素。
下手したら包丁もまな板も使わない。
早くて楽でそれなりにおいしいけれど、好みか否かでいえばあまり得意としない「つくりもの」の味だ。
3時間かけてつくっていたあの頃のほうが、まだおいしい夕飯だったのではないか。
何よりも仕事を優先する生活がここ数ヵ月顕著だが、おいしい夕飯も食べたいものもない、こんな生活がしたかったんだっけ。
なんかわたし、大切なものを落としてきたような気がしてならない。
∽∽∽
大切なものといえば、旅行中、履いていたパンツのお尻の部分が破れてしまった。お気に入りのパンツだったし、ホテルのフロントでソーイングセットを借りて繕ったんだけれども、繕ったそばからまた裂けて、もっと大きな穴が空いてしまった。
残念だがこれはもう無理だと諦めて、似たような別のパンツをネットで買った。
そうやってパンツは買い替えられるけれども、わたしが求めているおいしいごはんの幸福感はお金で買えるものではない。
何のために働いているのか、温かくておいしいごはんを犠牲にしてまで働いて得られるものは何なのか。
そんなことを考えて、お惣菜コーナーであさりとバターのパスタに伸ばしかけた手を引っ込めた。
代わりにひとり鍋用のカット野菜とお豆腐。そしていかのお刺身をエコバッグに詰めて帰ってきた。
…まあ…料理とはいえないけれども、今晩はできあいのおかずをやめて湯豆腐にした。いかのお刺身は酒のつまみに。
パンツの穴はふさがらなくても、落としたものはまた拾える。
ちゃんと足元をみて、大切なものを取り戻したい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたにとって最近おいしかった夕飯は、なんですか?