自分の頭と心を使って判断すること
この間、なにかのWeb記事で、うろ覚えだけどこんな主旨の文章を読んだ。
そうだよね、わたしも戸惑った時期がある。
今は「時と場合とコトによって、両方」だと、自分なりの結論が出ている。
こういう矛盾した2つのこととか、正反対の2つのこと、あるいは似たようなものが集まるグループというのは、人を思考停止に陥らせやすいのかな、とふと思った。
矛盾した2つのことを受け入れる
冒頭の例のように、矛盾を感じるモノゴトが現れると「どっちなんだよ」と憤りたくなる。
新人のころ、ある備品が残り3つ以下になったら補充するよう先輩から指示を受けた。
その日備品が3つを切っていたので補充していたら、先輩はこういう。
「このくそ忙しいときに、空気読みなよ。それ、もう残りがまったくなかったわけ?」
当時のわたしは相当驚いたわけだが、そういうことって、いっぱいあるのよね。
通常時なら、通常どおり補充する。
繁忙期なら、指示を仰ぐなりして適切に行動する。
やりたいことがあるけど一歩踏み出せないようなとき、
今日くたばるかもしれない…えいやっ!と飛び込むのもありだし、
長い目で見たら今じゃないな、と思って踏み出さないのもありなのだ。
両方を受け入れて、その場で適切に行動できるように、自分が納得して判断できるように、使い分ける。
「なんだよ、結局どうしろっていうんだよ」って、憤っているだけでは、思考の道具としていつまでも使いこなせない。
正反対の2つのことを疑う
「矛盾したこと」に似ているのだけれど、たとえば「やる / やらない」、「白 / 黒」のように、定規の両端にあるモノゴトも、人の思考の幅を狭める。
たとえば企業Aからプロジェクトを受注したいのだが、
企業Bと企業Cもそのプロジェクトを狙っている。
受注できるのは1社だけだ。
企業B・Cは競合であり、勝ち抜かなきゃいけない。
でも本当にそうだろうか?
企業B・Cとつながって、
企業Aのプロジェクトを企業B・Cのどちらが受注しても自社に仕事がまわってくるようなしくみをつくったとしたら…?
…戦わずして仕事を得られる。
これは実際にある企業の社長さんが取った戦略である。
勝ち負けで考えていたらこの発想は生まれてこないだろう。
自社の目的は企業B・Cに勝つことではなくて、
「仕事を受注して、利益をあげること」のはずだ。
だからA社からは降りたかわりにB社・C社の2社とつながった。
結果として取引先が増えている。
ローランドじゃないけれども
「俺か俺以外か」という2択を疑い、
目的を見つめ直して第3の選択肢を探ることが大切だと思う。
グループからははみ出る
なにかに所属することによる安心感ってあると思う。
それにわたしたちはグルーピングが大好きだ。
国籍、性別、年齢、学歴、職業、星座、性格診断…
グループなんていっぱいある。
でもそれって、一歩間違えると自分の可能性を制限することになりかねない。
「わたしは性格診断で◯◯タイプだから、コミュニケーションが苦手だ」
「転職回数が多いから、ダメな人間だ」
「学歴が低いから、希望の企業に就職できない」
…短絡的すぎやしないかい。
性格診断のグループも、転職回数が多いグループも、低学歴のグループも、そこにどっぷり浸からないほうが良いと思う。
だって
本当に◯◯タイプだからコミュニケーションが苦手なの?
転職の回数が多かったら、ダメな人間なの?
希望の企業に就職できないのは、学歴のせい?
グループのせいにするのは楽だ。
でもそれだと、いつまで経っても望まない自分のまま。
グループの枠をはみ出て考えたほうが、もしかしたら一時的にしんどいかもしれないけれど可能性は広がると思う。
頭を使う、心を使う
自分はどうしたいのか?
どうしたくないのか?
結局ここを心でよーく感じて、考えることなんだと思う。
芯さえズレなければ頭を使って適切な判断ができる可能性が高まるから。
2択もグループも、ただのツール。
受け入れて使いこなすのか、
第3の選択肢を探してみるのか。
グループにいる安心をとってもいいし、はみ出て挑戦してもいい。
どっちがいい、悪いもないの。
自分の納得感を追求する旅のようなもの。