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日常生活を送る難しさ
2011年で学んだわたしたちは、この1週間、ひとりひとりがそのニュースときちんと向き合いながら、適切な心の距離感を保とうとしているように感じる。
心のざわつきを鎮めよう鎮めようと努めている空気感が、ある。
それは「ぽぽぽぽーん」一色ではないテレビもそうだし、SNSを眺めていても。
近くて遠い現地の人たちと、自分の無力さに心を痛くしながらも、がんばって日常生活を送ろうとしているひたむきさが透けて見えてくる。
「ふつうにしている」ことは、ふつうでないときには、難しいものだ。
こういうときに、それ以上の悲しいニュースは見たくないし聞きたくないのだが、風邪と同じように気をつけていてももらってしまうものだから仕方ない。
近所のお店と、引っ越す前に住んでいた街でよく利用していたお店が、立て続けに閉店したと知ってしまった。
どちらも「いずれそうなるだろう」と思ってはいたし、それでも一瞬驚きはしたとしても「まあ…残念だけど仕方がないよね」と流せてしまう報せだ。
しかし今回はちょっと、食らってしまっている。
一般的に考えて、個人店が閉店する原因は2つ。
赤字経営もしくは経営者の引退だ。
今回の場合は前者のはずである。
そして赤字が続くというのは、精神的にもきつい。
わたしもほんのすこしだけ経験があるから想像できるつもりなのだけれど、どんなに好きなことでお店をオープンしたとしても、生活が懸かるとなると「好き」なんてどっかいってしまう。
赤字となれば気持ちも荒んでくる。
人間、心が安定しているからこそ好きだとか言っていられるんだろうなと、本気で思った。
「好き」なんて調子のいいものだなとつくづく感じたし、以来わたしは好きなことを仕事にするのはやめた。
もう、好きなことを嫌いになりたくないからだ。
あるいは、わたしはまだ骨の髄まで捧げられるような「好き」に出会えていないだけかもしれないが。
…奇しくもこの1週間でわたしは今年の目標を、5年後10年後を眺めながら立てたばかりだ。
足もとの覚悟が脆弱なのか、目標が高すぎるのか、その両方なのか。
ふたつの目で捉えていたはずの山は豊かな緑色だったはずなのだが、今は暗雲垂れ込める鬼ヶ島に見える。足がすくんでしまいそうだ。そもそも鬼ヶ島になんて行きたくない。
わたしはこれで、いいのだろうか。
あの山に登れるのだろうか。
考えはじめると足りない部分ばかりが浮かび上がり、足首を引っ張って沼の底に引きずり沈めようとしてくる。
書いていて苦しくなってしまったので、ちょっと散歩に出かけてきた。一歩一歩を意識して、踏みしめて。
まだ起こっていもいないことで不安になってもしかたがないじゃないか。
こんなときこそ、足もとだけを見つめて。
今日はなんだか苦しい文章になってしまいました。
そんな日の記録も、嘘偽りなく遺していこうと思います。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが登りたい山は、何色ですか?一歩一歩、進んでいこう。