「わたしだって」は「程度」で相殺する
つい「わたしだって」と思ってしまう瞬間がある。
夫が帰宅一番に発する「つかれたぁぁぁぁぁ!」のひと言を聞いたとき、わたしだって疲れているのに、と思う。
わたしだってしんどい。
わたしだってやりたくない。
わたしだって努力している。
「わたしだって」のあれこれで胸がゴボゴボして、たくさん水を飲み込んでしまった溺れかけの人のように苦しくなる。
場合によっては「わたしだって」から「どうしてわたしばっかり」に変わり、だんだん頭に血も上ってくる。
肩に力が入り、呼吸が浅くなり、時には罵詈雑言を喉が枯れるまで叫びたおしたくなる。
とても苦くて苦しい気持ちだ。
さて、ここで登場するのが、昨日に引き続きアル兄わかさ先輩だ。
「程度」を「わたしだって」に応用してみよう。
「わたしだって疲れている」が発動したとき、どうして疲れているのか思いつくまま全部出しきってみる。
仕事をしながら、家事だってこなしている。
なんか連絡関係が多くて思うように記事制作が進んでいないし、洗濯機はもう洋服があふれかけている。まだこれから夕飯をつくらなくちゃいけないし、夕飯を食べおわってからもまた仕事しないと追いつかない。
帰ってきて風呂入って夕飯食べて晩酌しながらゲームして眠るだけなのであれば、なにかひとつでも家事を担当してくれないかねえ!
…という「程度」
今日、「程度」を試してみたところ、たしかにだいぶ気持ちが軽くなった。というか、イライラもスッと消えていった。
「わたしだって」と思う理由を脳内で全部出しきったからか、思いの外スッキリもしていた。
アル兄でいうところの「気持ちェェッ!」だ。
∽∽∽
わたしの目標は、小さなことに反応してしまっても、すぐにデフォルト状態に戻れるようになることだ。
反応してしまうこと自体は仕方がない。
梅干しを思い浮かべたらよだれが出るし
熱いものに触れたら手を引っ込めるし
マッチョをみたら胸がときめくのと同じ。
反射はどうやっても止められないように、ちょっとしたひと言やできごとに心が反応してしまうことは止められない。
だけど、ぐじぐじやイライラを早くストップすることならきっとできる。
そのためにピンときたものはなんでも試す。
という程度のお話を読んでくれてありがとうございます。
あなたが負の感情を鎮める方法は、なんですか?
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