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つい、うまくやろうとしてしまうわたしへ。

ふとした瞬間に思い出し、思い出すたびに「ズドン」と胸をぶち抜かれる言葉がある。

「うまくやることばっかり考えてんじゃねーよ。自分の人生だろ?」

これはわたしが「なにをやってもうまくいかなかった時期」に、大切な友人がくれたひと言だ。

人はみなそれぞれ別々の人生を歩んでいるが、自分ひとりで生きているわけではない。時に誰かと同じ船に乗り、別れ、すれ違い、交通事故に遭いながら道なき道を行っている。

そして人の悩みの多くは人間関係に起因するもので、当時のわたしも人とうまくやれなくて、すれ違いと衝突事故ばかりを起こしていた。同じ船から突き落とされるような思いもした。
もうそれまでに、なじめない、嫌われる、弾かれるなどはじっくり1周してきたはずだった。人とうまくやれるようになってきた自分を「大人になったな」と評価していたし、いい大人になって2周目がやってこようとは思ってもおらず完全に不意打ちで参っていた。

狭いコミュニティのなかで根も葉もない噂が流され、その噂がわたしの孤立を加速させ、わたしだけ消しゴムマジックで消されたかのようなその空気のなかで、いつも消しゴムマジックをUndoしてくれる友人が、見るに見かねてわたしに投げかけたひと言が「うまくやることばっかり考えてんじゃねーよ」だ。

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わたしよりも、たぶんひと回りぐらい年上のその友人もまた、社会に出てからはなかなか人と「うまく」やれていないらしい。わたしと一緒にしたら失礼かもしれないが、わたしが知る限り友人もまたずーっと、いつもいつも、葛藤している。自分を信じればよいのか、それとも周囲のいうことが「正解」なのか。

酒を呑みながら何度も何度もそんな話をした。その度に「人間まじわかんねー!」と嘆きながらもわたしたちがたどり着いた結論。
「自分の人生、他人に委ねて『正解』するよりも、自分を信じて『失敗』しようぜ」

∽∽∽

最近のわたしは人間関係の面ではとても安定している。
そもそも人間関係に悩むほど人と接していないし、接点のある数少ない人たちはみな揃いも揃って素敵だから。

とはいっても、やっぱり他人に正解を委ねてしまうときもある。
人の顔色をうかがって自分の意とは反する言動をしてしまうときがゼロでなく、あとになって延々ぐじぐじしている。最悪!

ただ、そういうことも減ってきたのは、おそらく自分が自分の人生の主人公でいられる瞬間をみつけたからだ。
わたしがわたしの人生の主人公でいられる時間。書く時間。

読み書きができるようになった頃から、鉛筆を握れば絵を描くよりも自然と文字を書いていた。母親へのつぶやき、祖父に宛てた手紙、架空のパーティーの招待状、空想のお店のチラシ。折り紙は色とりどりの便箋として使われることも多かった。

MONGOL800が「あなたにとって大事な人ほどすぐそばにいるの」と歌っているが、わたしにとって書くことはずーっとすぐそばにいた。あまりにあたり前すぎて気がつかなかった。書いているあいだだけは誰にも邪魔されず自分の人生のど真ん中を生きていられることに。
だから本当は「みつけた」というよりは「はじめて認識した」と表現するほうが正しいかもしれない。

もしわたしがライターを辞めることになっても、きっと書くことは辞められないだろう。
ついうまくやるほうを選んで後悔したときも、他人に正解を委ねてしまったときも、自分を信じて失敗したときも、自分で自分を嫌いになりそうになったときも、書くことだけはわたしを裏切らないから。

完璧じゃないストーリーがスイーティーなストーリーになる



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたがあなたの人生の主人公でいられる時間はいつですか?

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