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次に自分が話すことを考えながら人の話を聞いてしまうわたしへ

初対面の人やさほど深い仲でない相手との会話が苦手な人は多そうだ。わたしも例に漏れない。
相手の話を聞きながら「次に自分は何を話そうか」と考えてしまう。そしてコミュニケーションに関する書籍で、この姿勢を肯定するものに未だかつて出会っていない。

次に自分が話すことを考えるな、相手の話に集中しろ、といわれても、正直どうすればよいのかわからずにここまで生きてきた。
「考えるな」といわれるほど考えてしまうし、相手の話に集中するってわかるようで抽象的だ。「ふつうにしなさい」といわれた途端「ふつう」が何かわからなくなるように、「集中しろ」といわれて集中できるものではない。

そもそも会話は音楽やラジオとは違うじゃないか。
音楽やラジオなら、聴くことに集中できる。だって自分は話さなくてよいのだから。会話だと、相手が話したあとには相手の話に対して何か反応しなければいけない。新学期のホームルームで自分の自己紹介の順番を待っているあいだは前の人の自己紹介がまったく頭に入ってこないのと近い状態だ。

次に自分が話すことを考えてはいけないのなら、何を考えて相手の話を聞けばよいのか。無になっていればよいのか?そこのところを教えてくれる本にも未だかつて出会ったことがなかった。今日までは。

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わたしのこの長年の悩みを解決してくれた本が、これだ。

この本にはっきりと書かれている。
「相手の言いたいことを考えながら聞く」と。

このひと言によって、わかったつもりになっていたいくつかのことが、芋づる式に腹に落ちた。

聞き上手な人に話を聞いてもらうと、自分の頭の中や気持ちが整理されてとてもスッキリした気分になる。聞き上手な人がなにをしているか?といえば、わたしの話のだいじっぽいところを抜き出して、うまいこと言い換えて、確認してくれている。

だいじじゃないところを抜き出されても「いや、そこじゃないんだよな」と思うし、しっくりこない言い換えだと「うーん。そういうことじゃないないんだよな」と首をひねりたくなる。違うということがわかるだけでも「じゃあなんだろう?」とまた思考を先に進める糸口になるから、それはそれでありがたい。
でも、聞き上手な人に話していると、立ち止まる必要もなく一気に「論理の道」が開通して、感動のあまり西川きよし師匠並みに眼がかっぴらく。これは聞き上手な人が「わたしの言いたいことは何か?」考えながら聞いてくれているからにほかならない。

それと、もうひとつ。聞き上手な人はムダな言葉を挟まない。
沈黙を恐れ間を埋めるような質問や、話の本筋からそれるような質問や私見を挟まない。
あと何m残っているかみえないトイレットペーパーを、芯になるまで延々引っ張り出しつづけてくれる。芯になったところでようやく、アドバイスなのか、ねぎらいの言葉なのか、芯になったわたしをみて適切な反応を示してくれる。
ムダな質問を挟まないのもぜんぶ「わたしが本当にいいたいことは何か?」を見極めようとしてくれているからだ。

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あまりに感動したわたしはさっそく「相手の言いたいことを考えながら聞く」を夫に対して実践した。
ムダな口を挟まず、夫が話しおわるまで待ち、「そうか。◯◯なことに引っかかっとるんだね」と、言い換えにトライしてみた。

夫から返ってきた言葉は
「最初からそう言うてるやん」だった。

相手が夫でよかった。これでは、わたしはまるで話を聞いていなかった人ではないか。

話を聞くって、やっぱり難しいですね。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが誰かと話すとき意識していることはなんですか?

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