共感の時代に追いついていない
起きてすぐ、歯を磨くために洗面所へ行くと、洗剤が出しっぱなしになっていた。
休日でも早起きの夫。
わたしが朝まだ眠っているあいだに洗面所を掃除してくれたようだ。
洗面所の排水口のキャップをそっと持ち上げてみる。
…残念ながら髪の毛がまとわりついたままだった。
性格の悪さが表れる行動に、自分でも嫌なヤツだと思った。
しかし洗面所の掃除とは。
ほどなくして夫から「洗面所を掃除しておいた」との報告があった。
「撥水スプレーもしといたで!」
「本当!ありがとう!」と喜べたらよかったのだけれど、あの排水口を見てしまっているために素直に喜べなかった。
撥水スプレーよりも、排水口よ…。
わたしの洗面所掃除といえば、鏡を磨き、排水口の髪の毛を取り除き、部品と流しを掃除する。撥水スプレーはしない。
夫の洗面所掃除はおそらく、流しをピカピカに磨き、撥水スプレーをして終わりだ。
排水口を掃除しない洗面所掃除は、わたしの洗面所掃除の定義から逸脱している。
「洗面所掃除といえば」をテーマに夫と話したとしても、互いに共感できないだろう。
それどころかケンカになるおそれがある。
モヤモヤした心では「ありがとう」の5文字を絞り出すのが精一杯だった。
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昼からライティングの勉強会に参加した。
「ライターとしての自分の傾向を知る」目的で、ちょっとした診断があった。
わたしは「共感」の値が低かった。
たしかに人に共感することも得意でないし、ましてや共感を狙った執筆はもっと不得意だ。
総勢10名の結果をみていくと「共感」をふだんから意識している、得意である人が多くてまた驚いた。
今回の診断は現在の自分のライティング傾向をただ客観的に計るだけで、結果に優劣はない。
しかし「共感の時代」といわれる今、共感が苦手であり、しかもちょっと考えてみたらそこに重きも置いていない自分に気づき、なんだか時代遅れな気がした。
不幸中の幸いといえば、日頃わたしが仕事で書いている文章はあまり共感の要素を必要としないことだ。自分に合った仕事をしているといえる。
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共感力って、ある意味ちょっと才能な気がしている。
鍛えるにしても、おそらく一朝一夕にはいかないだろう。
たぶん、たくさんの人と接して、たくさんコミュニケーションをとっていろんな人のいろんな考え方にふれることが必要だ。
それに自分自身の人生経験もだいじになってくるだろう。
わたしが共感力を身につけるまでのあいだに、共感の時代はもう次の時代へ移り変わっているかもしれない。
わたしはこの先ライターとして、この時代をどう生き抜いていくのだろう。
答えはまだ出ない。
とりあえず夫の洗面所掃除に共感する努力でもはじめてみようか。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近共感した話はどんな話でしたか?