見出し画像

LonelinessよりSolitude

フリーランスは孤独だとよく聞くし、わたしも孤独を感じたり感じなかったり。
フリーランスは物理的にもひとりで働いている人が多いからわかりやすいだけで、実際会社員でも孤独を感じている人は少なくないと思う。

チームで仕事をしているが、仕事のつき合いと割り切っていて、心のシャッターを下ろしている。
地元の仲間がいるけれども、結婚や子どもの誕生などライフステージの変化によって話が合わなくなってきた。
心地よいと思ってつるんできた人たちとのつき合いが、なんとなくつまらなくなってきた。

誰かと一緒にいるからといって孤独を感じないわけではない。

∽∽∽

孤独を英語にすると、lonelinessとかsolitudeと訳される。
lonelinessは、ネガティブな孤独。
さびしさや虚しさを感じる孤独。

solitudeは、ひとりの時間を楽しむといったニュアンスを持つ、ポジティブな孤独。

仲間と話が合わなくなってきて虚しさを感じるとか、
さみしいから誰か…といった孤独はlonelinessだ。

個人的に、lonelinessの孤独は無理に埋めないほうがよいと思っている。
無理に埋めようとすればするほど、孤独の谷に突き落とされる。

話の合わないグループで無理に話を合わせればあとでどっとつかれる。
さみしさから誰かに連絡してみたら、だいたいものの見事に未読スルーされてより虚しくなる。

loneliness状態のときは、自然にふれるとか、本や映画の世界に浸るとか、さみしさを埋めようとしない、他人になにかを求めなくてすむ活動をしてみたほうが吉だし、結果それがsolitude状態につながっていく。

∽∽∽

わたし自身は小さい頃からフリーランスになるまで、どこにいってもぷかぷかと浮いているような感覚を味わいつづけてきた。
だからlonelinessとはつねに隣り合わせの人生といえる。

その場には居るけれども、輪っかにはぜんぜん入っていない。
あるとき、その「場」から悪意をもってはじき出された経験を機に、できあがった輪に無理してまで入ろうとしなくなった。

無論、最初は「入ろうとしない」ではなく「入りたくても入れなかった」ため苦しかった。
しかし仕方がないからちょっとずつ孤独の楽しみ方を身につけていったし、今となってはむしろひとりの時間を強く欲するときも多い。

もしあのときはじき出されていなければ、未だにどこにいっても無理をして輪の中に入ろうとがんばる類の人間だったかもしれない。
とはいえ、あのときの彼・彼女らを両手放しで許せているわけではないけれど。思い出す頻度もだいぶ減ってきたが、ふと思い出すときには額に血管が浮き出ていると思う。未熟だ。

ただ、人のご縁も寄せては返す波だともようやく思えるようになってきた。
手放せばすてきなご縁がまたやってくるものだ。
solitudeでいこう。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近孤独を感じたのはいつですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?