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もう「ゆるい」に釣られないんだから!
「余裕がない」とは常々口にしている気がするが、今までは「時間の」余裕のなさを意味することが多かったように思う。
このごろ余裕がないのは、気持ちのほうだ。
だからふだんは気にも留めないあれやこれやが、いちいち引っかかる。
まるで、呼んでもないのに飲み会に参加してくる御仁のようだ。仕方がないからつき合ってやろうじゃないか。
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今回わたしの心の網に不運にも引っかかってしまったことは「ゆるさ」である。
「ゆるくやっていきましょう」みたいな空気感。
人の言う「ゆるくやろう」を鵜呑みにしてうまくいった試しがない。だってみんなの「ゆるい」は、わたしにとって全然ゆるくないんだもの。
「ゆるく」といえばなんだか居心地よさげに聞こえるが、人によってなにがどうならゆるいのか異なるのだから、そもそも定義がゆるすぎる。
だからわたしは人の「ゆるく」を信用しないことにしている。そして「ゆるく」の3文字が誰かから発せられたときには、皮肉なことに警戒レベルが一気に高まる。
ごめん、たぶんあなたの「ゆるさ」には合わないと思う。
(と、言えたら楽だがなかなか言えないものである)。
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一方で、すごい人の「ゆるい」もまったくあてにならない。
「今年はゆるくやっていこうと思います」
こんなのは努力を隠して謙遜のつもりで言っている可能性があるし、本音だとしたらもともとの馬力が違いすぎる。
もし前者なら、試験当日に「やべーゼロ勉だわ」とかいいながら、しっかり目の下にクマをつくって徹夜カチこんでいるタイプ。
後者なら、一般人とサイヤ人のあたり前を同列にくらべるのはナンセンスがすぎる。
何年か前に「そいつ今ごろカフェでパフェとか食ってるよ」みたいなタイトルの本が話題になったが、この場合は「そいつ今ごろ精神と時の部屋で修行してるよ」が正しい。
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「ゆるい」はゆるくないのだよ。
あいまいすぎるぶん気を遣う。ゆるさのレンジを探らなければならないので、逆にぜんぜんゆるまらない。
もしくは人によってわたしとは搭載しているエンジンかモーターが違いすぎて合わない。レーシングカーと電動自転車みたいなもんだ。
逆にいえば、わたしはここ数年、電動自転車を充電が切れるまで漕ぎ、切れたらちょっと充電してまた走り出す形で進んできた。まさに自転車操業。
だけどレーシングカーの運転手からしたら、わたしは「ゆるい」というか「甘い」のだろう。
でも、誰も乗り換え方を教えてくれない。
いや教えられないのだと思う。
「気づけば乗り換えていた」が近い感覚ではないだろうか。
もし教えられるとしたら「見て学んでね」になってしまう。
それならば
ゆるいと見せかけてゆるくない世界で余計な気を遣いながら学び成長していくよりも
最初から厳しいとわかっている世界に飛び込んでいきたい。
…勇気は要るけどね。
でも、わたしはそういう決断をしようとしている。
飛び込む勇気。
飛び込まない勇気。
「ゆるい」なんて都合のよい言葉、もう信用しないんだから。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたにとって居心地のいい「ゆるい場所」はどこでしょう?