無味無臭の1年にピリオドを
一昨日はクリスマスだった。
クリスマスツリーもクリスマスケーキも準備せず、チキンも食べず、なんらいつもと変わらない日を過ごした。
でも、スーパーに行ってもコンビニに行っても店員さんがサンタさんの帽子をかぶっているとか、ケーキやチキンが目立つ位置に陳列されているとか、この時期しかみないシャンメリーがででんと陳列棚の主役を張っているとか、そういう景色をみるとなんとなく木枯らしが吹きすさぶわたしの心も華やいだ。
そして「推しと友だちになった夢をみる」というクリスマスプレゼントをもらった。あーあ、夢を録画保存しておけるアプリでもあったらなあ。(ただし楽しい夢に限る。)
そんなこんなで、クリスマスらしいことを何もせず、何の変哲もない1日を過ごしたとはいえ、気分はちゃんとクリスマスムードだったのだ。
明けて昨日26日もまた何の変哲もない1日だったわけだが、今日明日あたりから年末年始休みに入るクライアントが多く、「今年もお世話になりました」とか「良いお年を」とメッセージが送られてくる。
1年の節目だから、「今年もお世話になりました」にくわえて「一緒に仕事できて嬉しく思います」とか「来年も一緒にお仕事できるのを楽しみにしています」とか、読んで思わずニヤニヤするようなひと言もいくつか寄せられた。本当はニヤニヤしながら何度も読み返したくなるぐらいだが、いかんせんわたしの気分はまだ「クリスマス」で「年末」ではない。
おそらくPCのこっち側にいるわたしは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていただろう。半ば状況が理解できないまま、返事を打っていく。
みんな、切り替えの早いこと…。
クリスマスはクリスマスできっと家族やパートナーと楽しく過ごして、今日はもうお正月へまっしぐらなのだ。
わたしは年末ギリギリまで働く予定なのもあって余計に、曲がり角からぱっと飛び出してきた「年末」にあっと驚かされたような感じだ。
でも逆に、わたしが年末という豆鉄砲を食らってしまったのは、クリスマスをクリスマスとして過ごさなかったからではないか、と思い至った。
∽∽∽
うちの実家は、いわゆる「子ども」がいなくても、子どもの日にはしょうぶを湯船に浮かべるし、節分には豆まきをするし、年越しそばもおせち料理も食べる。お彼岸やお盆にはお墓参りに行く。(初詣は混むから行かないけど。)
当時はまったく実感がなかったけれど、今思うと、そうやって季節の移り変わりを無意識レベルで感じ取っていたんじゃないかな、と思う。
だっていつの時期までかは忘れたけれどクリスマス気分を引きずることもなかったし、わたしにとって今年1年が12ヵ月あったとは感じられないもの。いくつか大きなイベントはあったがしかし、ほぼ毎日、部屋にこもってPCとにらめっこする毎日で「季節ってなんだっけ?そういえば最近寒い(暑い)な」ぐらいにしか季節の移ろいを感じていない。
今年、蝉の声聞いたっけ?
今年、キンモクセイの香りかいだっけ?
今年、わたしは何をしていたんだろう。
日々、記録をつけているとはいえ、それは仕事の記録である。
今日はどんな仕事をした、何時間働いた…。
そういう意味では、今年してきた「仕事」ならはっきりと振り返れる。
でも、毎日に味がない。においもない。無味無臭。さみしい。
だから来年は、毎日とまではいわなくても、せめて季節ぐらいは味わいたい。
来年こそクリスマスオーナメントを飾りたいし、冬至にはゆず湯に入りたいし、豆もまきたいし、お花見もしたい。
そんなことを考えつつ、年末の締切に向かってまたPCとにらめっこするのである。
…明日は大掃除できるかな。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたのお正月休みはいつですか?
仕事納めだった方、1年間おつかれさまでした。