ちょっとした悩みはぼやいて降ろす
いつもは歩いていくジムに今日は自転車で向かったのだが、自転車を忘れて歩いて帰ってきてしまった。(途中で気づいて、自転車はちゃんと回収しました。)
ついいつものクセで、というのもあるが、ぼんやり考えごとをしていた。
わたしの日常生活においてはあるあるだ。
考えごとをしながら歩いていて、曲がるべき角を曲がりそこねるとか。
信号が赤から青に変わったのに気がつかないとか。
なにを考えていたのかといえば、まったくとるに足らないことだ。
「やべ、昼ごはん食べずに筋トレしちゃったよ…やってしまった…」
なまじっか筋肉YouTubeを見漁って「空腹状態での筋トレはNG」との知識がインプットされているために、せっかく筋トレをしたのに「よくなかった」と少しネガティブな気持ちになってしまった。…ふだんなら「今日もジムに行けた!合格!」と気分が上がっているところだ。
そういえばジムに向かう途中も、自転車を漕ぎながら考えごとをしていた。
「ヒョロガリのくせに推しの筋肉YouTuberのTシャツを着てジムに行くなんて、みる人がみればやっぱりちょっと痛いだろうか」と。
でも推しのTシャツはジムに行くときに着たい。だってちょっと昂ぶるもの。
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移動中、家事をしながら、お風呂に入っているとき…頭を使わなくてよい時間はほとんど、とるに足らない「脳内ぼやき」をしている。
「あーもう」「やっちゃったよ」「どうしよう」とぼやきつづけていると、ふっと誰かが降臨してくれることがある。
「やべ、昼ごはん食べずに筋トレしちゃったよ…やってしまった…」とぼやいたとき、「1回ぐらいどうってことないって」と声をかけてくれたのはわたしの推しマッチョだった。
「ヒョロガリのくせに推しの筋肉YouTuberのTシャツを着てジムに行くなんて、みる人がみればやっぱりちょっと痛いだろうか」とのぼやきには、昔一緒にジムに行ったことがあるマッチョな友人が「そんなこと気にしてんの?」と返してくれた。
今日みたいに、呼ばなくても降りてきてくれることもあるし、自分から誰かを呼ぶときもある。
「ちょっとじいちゃん、どう思う?」とか。
あの先輩だったら、どんなアドバイスをくれるだろう?とか。
「生きてるだけでえらい」が口ぐせの親友は、今のわたしをみても「生きてるだけでえらい」って言うだろうか?とか。
誰でもいい。推しみたいに、自分が一方的に知っているだけの存在でも。
祖父なんてわたしが小5のとき亡くなっているから、ちゃんとした話なんてしたことないし。
自分 対 自分だと、自分で自分を攻撃してしまいやすい。
なんべん同じミスしたらできるようになんの?
わかっとるんだったらなんでできんの?
まじきついって。
意味ないって。
でも自分じゃない誰かなら、わたしを責め立てるようなことはいわない。むしろ「そんなことで悩んどんの?」程度の軽い反応が多い。もし厳しいことをいわれたとしても、そこにはちゃんと心がある。
自前の仮想空間で話したい人と話す。
ふとした瞬間に何気なく出てくるぼやきは、何気ないからこそ自分の本心が表れる。気分の下がるようなぼやきで、さらに「おっと、よくないね」とふかんして気づけたときには、誰かに降りてきてもらうといい。
明日も堂々と、推しのTシャツ着てジム行こう。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが今、話したい相手は誰ですか?