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比較して落ち込みかけたときの問い

このnoteを読んでくれているあなたは、人と自分をくらべて落ち込みやすい人だろうか。
わたしは人と自分をくらべて落ち込んだことがあまりない人間だ。
人と自分をくらべはしても、落ち込みはしない。

その昔、血気盛んだった頃は、落ち込むよりも「なにくそ」ととにかく反発心のかたまりだった。
「あの人とくらべてわたしは…」というよりも「なんであいつばっかり」と思うことばかりだった。
親から、先生から、クラスメイトから、なぜ自分は認められないのだ!という気持ちが強かった。

いつの頃からか「認められないのがデフォルト」とプログラムが書き換わって、「なんであいつばっかり」と思うこともなくなったし、まあ、そういうものだと流せるようになった。

そんなわたしが最近、人とくらべてちょっと落ち込みかけた。
フリーランスというのはよくも悪くもひとりぼっちだ。
同期も同僚もいなければ先輩も上司もいない。変に誰かを意識したりくらべたりすることもない。
だから人と比較のしようもないわけだが、そのときのわたしはくらべても仕方のない相手と自分を比較し、「自分は全然だめかもしれない」と、一瞬これまで積み上げてきたなにかが崩れそうな気がした。

だけど。

要は、その人はやっているけれど自分がやっていないことをやるだけでしょ?
それも半端なくやるだけでしょ。
本当に悔しいのなら。そこを目指すのなら。

わたしはそこまで悔しいのか、そこを目指したいのか自分に問うたが、答えはNOだった。
だからたぶん、なんかちょっと魔が差して向こうの芝が青くみえただけだった。

∽∽∽

人とくらべて落ち込んじゃうって人は、じゃあ本当にそこを目指したいのか自分に問うてみたらいい。案外NOが多いと思う。
心底目指したいのなら、落ち込む前にもう動いてるって。

わたしも危うく目が眩むところだった。
目が眩むのは自分の明るすぎる将来だけでじゅうぶんだ。

わたしは自分がしたい努力をする。
自分にとって必要だと思う努力をする。
それはたまたま「その人がしている努力」と似たような内容かもしれない。
そうすると今度は「あの人のほうが努力している」とか考えはじめるわけだが、あの人に24時間張りついてみていられるわけではないのだから、努力の量をくらべたってナンセンスである。

みえるところだけくらべたって意味ないしムダだし。
かといって氷山の水面下の努力までくらべられるわけないし。
そんなことを考えているぐらいなら、今日の夕飯でも考えたほうがよほど有意義だ。

…というわけで、人とくらべて落ち込みかけたけど結局その行為はまったく無意味だと気づいて回避した話であった。

今日も夜な夜な仕事になりそうだけど、サンタさんに会えるかな。
メリークリスマス。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたはどんなクリスマスイブを過ごしていますか?

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