見出し画像

地面師を語れる相手がいなくても無問題な冬眠期

今でこそ、ドラマ好きの夫の影響とPrimeVideoの手軽さからドラマをちょこちょこみるようになったが、わたしはもともとドラマに興味がない。

ドラマの代名詞ともいえる「月9」を、たぶんわたしはみたことがない。
番組名なら聞いたことがあるとしても、それが月9だったかどうかは知らない。
「青春時代、何してたんですか?絶対友だちの会話に入っていけなかったでしょ!」と、大人になってからできた友人にいわれた覚えがある。

たしかに友だちとの会話には入れなかった気がするが、ドラマの話しかできないような浅い人間関係はもはや友だちではなく単なるクラスメイトあるいは単なる同僚との認識であったため、話に入ろうともしていなかった。したがってまったく苦ではなかった。

そして今思う。
ドラマの話以上に深い話ができた友人でさえ、今どこで何をしているのか知らないぐらいには疎遠だし、もしかしたら絶縁されているかもしれないのだ。
話に入ろうと必死になってドラマをみるなんてことをしなかった自分は、逆に自分の青春時代を謳歌していたのではないか(と思いたい)。

∽∽∽

なぜこんな話を思い出したのかといえば、この正月休みに実家にて『地面師たち』をみたからだ。わたしはNetflixを契約していないから、母親のアカウントで。
あれだけの話題作であるにも関わらず、ハリソン山中がいかにマッドでクレイジーでサイコか、またリリー・フランキーさんの演技がいかに素晴らしいか、石野卓球さんの音楽がどれだけあのドラマでいいお出汁となっているのか、語り合える相手は母親または妹しかいない。夫もNetflixを契約していないし。

かといって残念か?と問われたら、まったく残念ではない。
どうしてもハリソン山中について、あるいはリリー・フランキーさんや石野卓球さんについて語りたいのなら、noteやXでそのように投稿すればよいのだから。

転勤族かつフリーランスで子どもがいないわたしは、基本的にオンラインで、かつ仕事関係の人としか出会わない。したがって、地面師の話をする機会などなかなかない。
もうめっきり顔を出していないが、近所の囲碁倶楽部にしたっておじいちゃんたちがハリソン山中を知っている可能性は低いだろう。

それでよいのだ。
今の自分にハリソン山中の話をできる相手は要らない。
何なら大好きなボディビルについて語り合える相手も要らない。(いたらそれはそれで嬉しい。)

∽∽∽

わたしは今、自分の世界に引きこもっていたい。
物理的に外出しないリアル引きこもりは脱却したいと思っているが、人間関係については冬眠に入ったようだ。

こういうふうに、極度につき合いの悪い時期が不定期にやってくるので、それまで何となく親しくしていた人たちとも運命の分かれ目である。
「何こいつ、感じ悪」と思われてフェードアウトされるか、わたしの「人間関係引きこもり期」を何とも思わずそこに居てくれるか。

わたしが一度に親しくできる人数はどうやら限りがあるらしい。
だから疎遠になってイスが空かないと、次の出会いが舞い込んでこない。次の乗客が座れない。そしてそのイスは何年も空席だったりする。
今年はさらに空席ができるかもしれないし、あるいは一気に空席が埋まるかもしれない。ずっと乗車してくれていた友人と、より仲が深まるのかもしれない。
どうなるかはまったく想像もつかないが、どうにもわたしは冬眠したいらしいのだから仕方がない。ここで無理をするとものすごいストレスだから。

かくして人間関係の冬眠に入ったわたしは、もっともフィジカルで、もっともプリミティブで、もっともフェティッシュなやり方で、大切なわたしの時間を謳歌させていただきます。
…なんてね。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが人間関係を見直すとしたら、どんなふうにしますか?

いいなと思ったら応援しよう!