夏の追懐
こんにちは、Amyです。
頭の中ではたくさん言葉が浮かぶのに、思ったように文章が書けず、しばらく書くことから離れていました。
気づけばもう夏も終わりですね。
久しぶりに書きたくなったのでここに記してみます。
今日は田舎の夏を懐うお話。
はじまりはじまり▶▶
夏と聞いていつも思い出すのは、夕立が残していくアスファルトの香りだ。
私の家は山に囲まれるように建っていて、いつも山に見守られているような感覚がする。
庭を眺めるように取り付けられた窓にはすだれが吊り下げられていて、その隙間から湿った優しい風とオレンジの夕日がリビングに届く。
あまりに夕日がきれいなので、思わず「ご飯までには帰る!」と家を飛び出した。
家からまっすぐ、ただひたすらに田んぼ沿いを夕日に向かって駆ける。
こちら側には高い山がなくて、空が見渡しやすい。
私の視界を遮るものは何もなく、1秒毎に表情を変える夕焼け空は、どこまでも続くキャンバスのよう。
大きく広く、表情豊かな空を独り占めできるのは、とても気持ちが良いのもだ。
自然が生み出す心地良い音だけが耳に届き、犬の散歩をしているご近所さんに挨拶をする以外誰ともすれ違うこともなく、ずっと向こうの突き当りを目指す。
直線距離で300mほどだろうか。
ここが、一番キレイに夕日が見えるのだ。
夏の夕日はとても力強く、こんなこと言ったら大げさかもしれないが「今日という1日を一生懸命生きたんだ」と思わせてくれる。
向こうの山に夕日が沈むまで見届けて、まだほんのり色づく空を振り返りながら家路につく。
幼い頃から空いっぱいに広がるうろこ雲だとか、朝焼けの恋してるような淡い空とか、あれこれ考える間もなく心が即座に「綺麗だ」と言ったものを私は見つめ続けた。
なんだかそういうものがキラキラして見えて、価値のあるもののように感じた。
家に変えると母がキッチンでそうめんを茹でている。
「えー今日もそうめんー?」
と文句を言うと
「文句言うなら自分で作りな!」
と怒られる。
今日は祖父と種から育てたとうもろこしを収穫した。
七輪で焼いて焦がし醤油でいただきたいが、暑いし蚊も飛んでるのでこの案は却下。
結局塩ゆでにしたとうもろこしが、そうめんと共に食卓に並ぶ。
ご飯の時間は今日1日の出来事をみんなで話すのが日課だった。
食べ飽きたそうめんの味にがっかりしながらも、あれこれ話しているうちにそんなことすっかり忘れ、デザートのスイカが出てくる。
これも祖父が育てたものだ。
ご飯が済んだら母がクーラーを入れてくれる。
思えばいつも汗だくで夕飯を食べていたっけ。
食べ終わるとお風呂に直行するのだが、私の家族は365日お風呂にお湯を張るので浴室がサウナ状態だ。
しかも熱めのお湯なので、一番風呂の日はこっそり水を入れてぬる湯にしている。
ここからが私の好きな時間。
お風呂から上がるとクーラーでキンキンに冷えたリビングが待っており、スーッと汗が引いていくのがわかる。
まだ暑くて髪を乾かす気になれないので、クーラーの風が当たるところへ行き涼む。
冷蔵庫に冷えたスイカが隠されていることを私は知っているので、ある程度汗が引いたらスイカを取り出し、お腹いっぱい頬張る。
さっきも食べたが、お風呂上がりのスイカというものはまた格別なのだ。
毎日こんな夏を過ごしていた。
あとはカブトムシを捕まえに行ったり、その道中でウリ坊を連れた母イノシシに襲われたり。
旅行やお出かけもたくさんしていたが、思い出すのはなぜかこのシーン。
日常の1コマをこんなにも鮮明に覚えているなんて自分でも不思議である。
話は戻ってここ数年の話。
都会に引っ越してから、空を眺める機会が減った。
機会というか、見上げても私の大好きな空のキャンバスは思ったように見えない。
代わりに何重にも垂れ下がる電線や途切れることなく視界に入る住宅の屋根、マンションやビルが並んでいる。
周りに自然がないので、最近は季節を感じることが難しい。
こちらには友達も親戚も誰もおらず、1から人間関係を築かねばならない状態だった。
引っ越してきてすぐ、近所の女性にすれ違いざまに挨拶をするととてもびっくりされた。
「なに、この人…」
と言わんばかりの視線が胸に刺さる。
田舎ではコミュニティが狭いためか、すれ違う人と挨拶するなんて当たり前だったし、むしろ無視して通り過ぎれば「〇〇さんの娘さんは挨拶できない子なのね」と噂になりかねない。
学校帰りは知らないおばあちゃん達も「おかえり」とよく声をかけてくれたものである。
だから尚更、こちらでの一人の時間はとても淋しく感じたものだ。
しかししばらくして都会の生活に慣れてくると、今度はこの無機質な生活が楽に感じるようになった。
人目はあるが、干渉されない。
色んな地域から色んな人が集まってくるこの街では、他人に干渉しすぎないことが住心地をよくする一つの知恵なのかもしれないと思った。
今ならなぜ他人からの挨拶が驚かれるのか理解できる。
テレビではキラキラした街の一部ばかり注目していたが、見ると聞くとでは大違いというか、その地域にはその地域のしきたりや風習があるのだ。
自分の経験や価値観だけに頼って生きていると知らぬ間に自分の世界を狭めているのだなと感じる。
そんな事を考えながら今日も空を見上げる。
山も田んぼも川もない。
だいすきな家族も友達も遠く離れている。
でも、無機質だからこそ、いつも田舎のことを想い、慈しむことができている。
この街も、私は好きになってきた。
-Amy