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父親になることに戸惑いがある男性へ『プリテンド・ファーザー/白岩玄』

男性が子どもを育てるとなったときに父親の自覚を持つには、父親としての自分を受け入れて生きていくためにはどうすればいいのか。
その答えがこの小説に書いてあるような気がした。

「俺たち、一緒に住まないか? 」 恭平と章吾。正反対の同級生。
唯一の共通点は、1人で子どもを育てていること───。
シングルファーザーとして4歳の娘を育てる36歳の恭平。亡き妻に任せっぱなしだった家事・育児に突如直面することになり、会社でもキャリアシフトを求められ、心身ともにギリギリの日々を送っている。そんななか再会するのが、高校の同級生・章吾。シッターというケア労働に従事しながら、章吾もまた、1人で1歳半の息子を育てていたのだった。互いの利害が一致したことから2人の父と娘と息子という4人暮らしが始まるも、すぐにひずみが生まれて……。
「ケア」と「キャリア」のはざまで引き裂かれるすべての人に贈る、新しい時代のための拡張家族の物語!

集英社HP

白岩さんの著作はこれで3冊目だ。小説『たてがみを捨てたライオンたち』と山崎ナオコーラさんとのエッセイ『ミルクとコロナ』。いずれも白岩さんが男性性と父親という役割について焦点を当てた作品になっている。

白岩さんの男性が社会にとってどんな存在であるか、どんな存在であるように押し込められているかについての眼差しは鋭い。
でもそこから発したメッセージに刺々しさが感じられないのは、白岩さんもそういう窮屈な男性性をインストールさせようとしてくる社会に生き、現在子育てをする父親だからだ。男性が子育てをする土壌がいまだにぐらぐらと不安定で整えられていない社会のなかで仕事をしながら、もがいているからだと思う。

男性に家事や育児などの家庭参加を求める風潮が当たり前になって、男性へ求められる役割は一見増えたように見える。
でも、本当にそうなのか?と私は思う。
父親とは、男とは。また母親とは、女とはこうである、こうあるべきだという境界線(ライン)がどんどんぼかされていき、グラデーションになってきているからではないか。
そして男女ともに、父親も母親も妙に息苦しくて家庭生活と仕事との両立にへとへとなのは社会の構造はそれに追いついてない。そういうことなんだと思う。
自分の子どもを育てるために育休を取得する。それは父親としてそうする権利もあるし、何らおかしいところはない。それなのにキャリアアップへの道が閉ざされるような、パタニティハラスメントが起きている例は実際に存在する。
そんな状況なら父親にならないほうが得だ。これはマタニティハラスメントにも言える。
子どもを産むことが、家族を増やすことが生きるうえで枷になるのだ。そりゃあ少子化は止まらない。社会が、企業が、子どもを産むことを歓迎してないのだから。
子どもを持ち、パートナーと育てていきたい。
そんな男性の気持ちをくじいて、踏みつけるような仕組みや思想が残り続けている。

仕事を滞りなく回すために、あるいは会社の利益を追求するために、子育てはもちろんのこと、きっとあらゆる家庭の事情をないがしろにして男社会は成り立ってきたのだろう。

『プリテンド・ファーザー』p158

私自身のことで恐縮なのだが、私はけっこう父親が好きだ。けっこうというか友だちにファザコンとからかわれるぐらいには父親が好きだ。
その理由はなぜかというと、やっぱり良い思い出が多いからにほかならない。
私の父親は地方の食品系の商社で働いていた。これが少々地方の特色が出るのだが地元は漁港が大きいところで食品系も水産のものが中心だった。そうなると朝が早い漁師に連動して食品を作る工場、それを扱う父の会社も朝が早く終業が早い勤務形態だった。
早朝のまだ薄暗い時間に出勤し、午後の3~4時ぐらいに帰ってくる。母親も働いていて、こちらは一般的な勤務形態だった。だいたい夕方の18時過ぎに帰ってくる。
父親は保育園の送り迎えだけではなく、小学校に上がると学童への送り迎え。また学童がなくなり、家へ帰ると母親が朝干していった洗濯物を畳んだり、家の掃除をしたり夕食の準備をしてくれた。
あいにく土曜日は仕事であることが多かったのだが、日曜日はいつも車でどこかに連れて行ってくれたし、遊んでくれた。だからよくアニメやドラマであるような「家のことを何もしない、日曜日はごろごろしている父親」というものを小学校高学年ぐらいまで都市伝説だと思っていたのだ。
中学生以降、世の中の父親がどんな状況なのかどう家庭に関わっているのかを知ると自分の父親がいかに私を(正確には弟妹がいるので私たちだが)育ててくれたのかわかる。
この考えに関して通じることが『プリテンド・ファーザー』にも書かれていた。

「……たしかに、そのときはそう思ってたんですけど、よく考えたらおかしいなと思ったんです。子育ては二人ですることなのに、母親だけが産休を含めて、最低でも数ヶ月は赤ん坊にかかりきりにならなきゃいけない。もちろん、そのぶん男が稼いでくるのも大事なのかもしれませんけど、本当はその期間は、これから二人で子どもを育てていくにあたって、自分たちの生活を再構築する期間じゃないですか」
 そこで十分な時間がとれなかったり、親になる努力をしなかったりするから、男の人は子育てに乗り遅れるのだと津崎は続けた。

『プリテンド・ファーザー』p222

白岩さんがエッセイ『ミルクとコロナ』でも書いていたことだが、男性が父親としての実感を得るためには精神的なものではなくて、ただひたすらに子どもと接する時間(母親がいない状態)を増やすしかないのではないかと言っていた。
私もそうだと思う。子どもに対して少しずつ日常を積み重ねていく、一緒に生活をする(寝泊まりする部屋を同じ場所にするというだけではなく)ことでしか親には、家族にはなれない。

また個人的に思うのは男性が父親同士のつながりを持ちにくい、できにくいということだ。そこに目をつけた父親同士の悩みを相談しあうマッチングアプリや掲示板のようなサービスはないのだろうか。
これは子育てをしている友だちから聞いたことだが、自治体のサービスも母親教室や母親へ向けた相談やカウンセリングの場はあるのに父親へ向けたものはほとんどないというのだ。
母親が子育ての情報共有ができる母親友だちがほしいように、男性だって父親としての悩みや雑談なんかができる場所があったほうがいいだろうと思う。

『プリテンド・ファーザー』は恭平と章吾が子育てを通して、今の現実を受け入れそれぞれのこれからへ向け、どうありたいがどうすべきかという姿勢を手に入れる。二人の子育てを通した連帯が見られる。
いま現在子育てをしている年代や適齢期とされる人たちは働き盛りであることが多いと思う。そしてちょうど男性の家庭参加へ向けた風潮が大きく変化して、小さいころは男性は仕事で、女性は家庭と言われてきたのに高校生や大学生ぐらいからは男性も家事を!育児を!の風潮になる。そんな過渡期を生きている人が多いのではないか。
ちょうど恭平がそんな男性なのだ。急激な社会で求められる父親や男性としての価値観が変わり、戸惑いや(じゃあ、どうしろってんだ!)という不安を抱えている人もいるだろう。
そんな男性にこそ読んでほしい。男性で父親である白岩玄さんから同じく男性へ向けての手紙のような小説であった。


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