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タイムパフォーマンスとアウトプットの話

前回のエッセイを書いてから、なんともう3ヶ月が過ぎていました。月日の経つのは早いものですね。光陰矢のごとし。宇宙は紐のごとし。いかがですか、このエッセイっぽい書き出しは。

さて、今日は編集者の方から「コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスについて」というお題をいただいたので、それについて書いてみたいです。

「タイムパフォーマンス」という言葉は初耳だったので、調べてみると次のような説明が出てきました。

タイムパフォーマンス(英:Time Performance)は、かけた時間に対する効果、すなわち「時間対効果」のことである。 かけた費用に対する効果(費用対効果)を意味する「コストパフォーマンス」の「コスト」を「タイム」(時間)に置き換えた造語。

ふむふむ。「かけた時間に対する効果」のことを言うのですね。Z世代と呼ばれる若者は、「タイパ」を重視しているそうで、動画を見るときは倍速にしたり、ながら再生をして、時間を節約しているのだそうです。

「ではわたしはどうだろうか?」と考えてみたのですが、そもそも、コスパやタイパについて一度も考えたことがなかったことがわかりました。

全然生き急いでなかったのです。

何かを節約したり短縮したりして、より高い効果を得たいということが、いまいちよくわからないのです。それとこれとは別じゃないのかと思うのです。

たとえば欲しいものがあったら絶対欲しい。欲しかったら値段は関係なくなってしまう。「欲しい」が先にあるのです。
もし安くなっていたらもちろん嬉しいですが、値段が高くても買うし、手に入れる。コスパというより、パだけを求めているのかもしれません。

同じように、「アレがしたい」なら「アレをするために時間をつくる」ので、時間を短縮するどころか、たっぷりとそれに浸りたい。

え? みんなは、時間を短縮したことで、その残った時間で何をするの? 短縮している今のその時間は、そんなにやりたいことをしているんじゃないってことなの? と思ってしまうのです。早漏はよくないよ、もっと時間をかけようよ、と思ってしまうのです。


時間のことを思うとき、ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出します。時間泥棒に時間が奪われていき、人々はますます忙しくなり、友達と話す時間さえなくなって、世界が灰色になっていくお話。

『モモ』に出てくる名言はたくさんいいものがあるので、ぜひ読んでみてほしいですが、1つだけ引用をしてみます。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。自分たちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。

『モモ』ミヒャエル・エンデ著


人々はタイムパフォーマンスを考えることで、時間を失いはじめているんじゃないのかな? 逆説的だけれど、と思うのです。


これまで近代文明は、人生の限りある時間の中で、やりたいことをやるために、時間を節約できるように発展してきたんですよね。

洗濯機は全自動になり、そうじは掃除機になりルンバになり、出掛けなくても人と会えるようになり(Zoomなどで)、ご飯は作らなくてもレトルトをチンにしてウーバーになりました。

それで楽ができるのはありがたいし、わたしも享受しています。

で、節約できて生まれた時間で、みんなは何をしているのだろう?

若者たちがタイパを重視するのは、若者だからこそだよな、と感じます。スマホができて、サブスクができて、消費するコンテンツが山ほどある現代だから。見ても見ても見きれない、聴いても聴いても聴ききれない、食べても食べてもまだまだ美味しいものがある。

消費コンテンツ、消費ビジネスに囲まれたとき、まだまだ経験が少ない若者は、色々なことを知りたくて、吸収したくて、タイムパフォーマンスを考えるのだろうなと思います。

若者は生き急いでるから! 人より早く自分を確立し抜きんでてやろう!と。命短し恋せよ乙女! 若いときはそうやって、たくさん知識を得て、たくさん経験したらいいんだと思います。自分なりのスタイルを作り上げるまで。

わたしはもう、消費モードが一段落しているお年頃なので、消費よりも「作ること」に関心が出てきています。

インプットからアウトプットへシフトしないと、健康でいられなくなってくる。現代人は情報過多で、他人からの情報の波にのまれてしまうと、不安で無気力になってしまう気がしています。

「食べたら出すように、インプットしたらアウトプットしないと不健康だ」と、わたしの好きな作家の坂口恭平さんは言っています。

だから、うんこしないと。アウトプットなんて恥ずかしいとか言ってないで、出さないと。大丈夫、うんこは評価されるものではないのです。いいね!とかいって評価されてもいいけど、所詮はうんこなのです。何の話でしたっけ。

そう、だから、
「やりたいことをやる」
「欲しいものを手にいれる」
「アウトプットする」
「そのためのコストやタイムは厭わない」

というのが、わたしのスタンスかなと思うのでした。

スローなこと、作りだすことは、結構気持ちがいいのです。

ほうきで家の中を掃いてみたり。
家に帰る前に公園を散歩して夕日を見たり。
買えばすぐ手に入る野菜を、半年くらいかけて畑で育てたり。
かわいいデザインのものがたくさん売っているのに、ふきんに刺子をしてみたり。
雨の日にカフェの窓ガラスを伝う雨粒をぼんやりと眺めたり。
言葉で話せばすぐ伝わるのに、話さないで気持ちを伝えてみたり。

何かそういう「時間のすき間」にある、「  」をわたしは楽しんでいるのかもしれないです。

ねぇ、伝わったかな、「     」



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