4/29/2020 mindfulness



自粛が始まってからの朝をフォーマット化して3週間目

起床→ストレッチ→朝食→コーヒースタンバイ→ベランダのワーキングスペースをセッティング

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だけど今週はストレッチの直前ぐらいで「😐」「😑」の気分が多くて、「とりあえず「ご褒美」として自分の中で登録している『食』までのステージにたどり着こう」と思ってそのステージたどり着いてクリアしても「😐」「😑」は変わらないから、次のステージに自分のけつを叩きながら向かわせる。

「一度好きなものに囲まれよう。」

↑が私の「食に逃げようとするときの自分の気分を変えるためのセッティング、気分を変えるときのセッティング」。もうフォーマット化されている。

フォーマット化って便利で楽だし手取り早くて「一番効率いい」「正しい」「正解」、と思いがちな気がするけど、実は悪き習慣・習性なのかもしれない。なぜならばそのフォーマットを守っても期待する結果が見出せない時にイライラやunsatisfied感が倍増されるから。「ちゃんとフォーマットを守ったのになんで満たされてないの?」「what the fuck is wrong with me?」「ugh I'm such a stubborn lazy mendokusai bitch」こういった言葉でさらに自分の「😐」「😑」の気持ちに追い討ちをかける。ひどい時は自分を問いただす時間でまたさらに30分や一時間と進んで行って気付いたら「あ、また自分時間無駄にした」と自分に追い討ちをかけるサイクルは終わらない。

以前気づかされたのが私は常に「解決策」を追い求める、見出そうとする修正があること。それは悪いことではないけどこれも度を過ぎると危害を与えてしまう。とてもせっかちである私が見出した「解決策を見出そうとする習性」。今この文章を書き起こした後にすぐ始まったのが「それは正しいか、良いか悪いか裁判」だ。

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今「mindfulness」を勉強中なのです。なので本来ならばこの裁判が開かれている事実も「だめだ!やめなきゃ!」と判断し、「不正解」で「reject」しようリストにすぐ入れるけど、それを事実として観察しているのが「mindfulness」。

「「裁判を開く習性がある」→「すぐそれを『悪い』と判断して焦っている自分がいる。」」

とりあえず私が理解している「mindfulness」はこれ。

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自分の状態を観察はするけど自分の思考や感情の繋がりにはkeep hold of itする。

最初「mindfulness」について教わった時は「ずっとそれやってきたけど、今更感あるな。」と思ってた。確かに常に自分を客観視することを心がけていたけど、感情というエンジンによって「drift away」されていたので「partially」しか「mindfulness」はやっていなかったわけで。

ほぇー

これできている人って20代後半の人でどれくらいいるのかな