「走れメロス」2番目の娘への答え😌
2本目の朗読「走れメロス」を友人と聴いた
友人SYOちゃんはこう言った…
「メロス‼️自己中極まりない‼️
なんて事よ〜😤
友人を何度も裏切ろうとするなんて〜!
友達はすごいわよ♪̊̈♪̆̈
1度しか疑わなかったんだもの〜🥰
ねえ!amu🥰さん!
そう思うでしょ⁉️」
私の答えはこう👆🏻
「いや……そうは思わないよ」
「ぇぇええええ⁉️😱なんでよォ〜〜」
「あのさぁ〜結婚式まで歩き通し👆🏻
海賊3人と戦って👆🏻
それだけでも相当な体力を無くしてるさ👆🏻オマケによ‼️
濁流を泳ぐんだよ〜‼️
これ程 体力の無くなることないさ‼️
岸に上がった時点で身動き取れないはず‼️その後また走るとなれば多分
(本気の死んだ気スイッチ)でも
入らなければ続け様に走る事なんて
無理に等しいと思うよ…‼️
SYOちゃんは…😅
そんな限界をまだ体験した事
ないんやなぁ〜🤣」
🤔「あ〜〜〜そうなのかぁ〜
なるほどねえ〜〜」
上のお姉ちゃんと違って
2番目の娘は…生まれた時から
(にこり)ともしない娘だった😅
泣き出すと大変💦
わたしの抱っこ以外
泣き止まなくなる〜😅
おばあちゃんや父親も
娘のかんしゃくが始まり
服を脱がせることすら出来ず
服を着せたまま〜
🛀お風呂に漬けるしかなくなった事も
幾度かある程
この時点で娘をお風呂に入れる
自信のある家族はいなくなった😅
ひゃはHAHAHA🤣
この娘……
生まれた時からミルクの後の(ゲップ)は
大問題で‼️
飲んだ後のゲップで
全てを吐乳してしまう🥺
ミルク後のオムツ替えも👆🏻
両足を持ち おしりを持ち上げたものなら
どっぱぁー🤮🤮🤮
その度に全身総替え……
シャックリ!ゲップ!
その度の吐乳を止めることは
できなかった…
何より心配したのは娘の体にミルクが残らない事…😮💨
考えた末🤩
ミルクの為にかっぽうぎを用意
飲んでる最中にゲップを
催しそうになると
かっぽうぎの裾を両手で広げ
周りに飛び散らないよう
ミルク便も放り投げ気味で
砂防ダム作りをエプロンで繰り返した…🤣
ミルクが残らないことから考え…
私の感覚を頼りに
相当早い離乳食へと
向かうことにした…
「初乳は飲めているわけだから〜
きっと大丈夫…🤔
これしか方法は無い❣️
小さな身体に点滴より食物を
入れる事が絶対的に必要なはずだ…」
生後3ヶ月で離乳に踏み切る🤨
不思議と娘の体重も増え始め✨.゚・*..
吐乳も納まっていく…
やっと生後6ヶ月に突入…がしかし😅
次はO-157との格闘〜😱
O-157が流行ると大忙し💦
半径2mは食べたものが吹き出す娘
まるで食べ物噴水の様だった…
それでも…何故か……
病院に検査に連れていかない私がいた
思いつかなかったのか…
🤔ん〜多分ね……
子育てに関しては…
私の感を信じていたのかなぁ〜
よく覚えていないのである😅
なのでね…
小さい頃 いつも洗濯物を減らす為に
ランニングにパンツいっちょう姿🤪
新聞にのったことがある🤣
まだ2歳前の頃…
馬に1人で乗ると利かず!
「決してこの子は落ちません」と
係委員を説得し
乗せてもらったことすらある🤣
毎年クリスマスプレゼントのお願いは(🏇💨馬!)あれは困ったなぁ〜🤣
この娘は相当な特殊娘で……
長女と末の息子が同時に
不登校になった事があるのですが💦
その時も1人で学校に行き続けた…
「あなたも休んだら?」という
私の言葉に首を横に振り…
あの頃……
私の為に行き続けたと思っています…🥹
お姉ちゃんと弟 2人共がようやく
心の整理が着いたようで
学校に復帰し行きましたら…
数日後……
「わたし少し休むね…」
と言って学校を休み
眠り続けましたょ😅
これは南インドの時
膝を曲げ弟に先にジュースを飲ませていた…
いつも何時も言葉少なく
静かで優しい娘
(しまじろう🐯を片時も離さず)
扁桃腺で熱が40度あっても…
どうしても行くと利かず…
幼稚園の着物👘の舞踊を踊りきった…
そんな娘も成長し大人への階段…
高校に入りどうしても
お姉と暮らしたい
と言いはったはいいが…
直ぐに😅
大喧嘩をしてお姉のアパートを出る
私と一緒に熊本に来ないかと聞いたが
この時も…娘は首を横に振った……
私も…
言いたいことは山ほどあったが
それ以上無理強いする事は不可能…
到底…
まともに話を聞くとも思えなかった…
そう
彼女の強さは
既に私を超えていた😌
そこから娘の歯車は
大きく変わっていった…😔
学校の授業を終え
夜中の道を1人で歩いて
アルバイトに通っていたようだった…
毎日毎日…本当に心配した😢
何かあったらどうしよう…
気の休まる日がなかった…
この頃から
あまりの恐怖にニュースを見なくなった
ずっと……
娘のことが頭から離れなかった
この子の高校生活の3年間は
本当に緊張の続く長い時間だった…
とうとう…
高校を卒業出来た😭
これ程しんどい3年間はなかったなぁ
HAHAHAꉂꉂ(´▽`)
本日午前中に描いた
「保険業」についてのnote…
実は…これって続きなのです☺️
私だけが知る娘の産まれ持った体調
それを感じながら
娘が1度拒食症気味になったことがあり
充実した保険をかけた…
勿論😉
娘から相談を受けたからである
しかし……😔
時が流れ 賑わうSNS情報から
娘の「保険業」に対する疑惑は
大きくなり……
(チラホラ保険業の私に棘が出ていた)
のを思い出せば
多分…憶測に過ぎないのだが〜
全ての彼女の!
我慢し!
言葉に出さず!
力を入れ!
恐怖と戦った日々が!
思春期の大きな歪として
私に刃が向いたのだろう
と推測した😔が
しかし……
本人の記憶の中の思い出を
外から修正することは不可能……
母である私が作った
彼女の為の精一杯の守りの保険が
「未納執行」となり…
電話番号も消え
住所も分からなくなり
同時にショートメールで最後の会話
「もう連絡してこないで」😭
とだけが送られてきた😭
これが保険業退職願望の
大きな引き金となる
娘の保険の「執行」の文字が
私に大きな地震を起こす…
どこにいるのかさえ分からない…
あの子に何かあったら…
護ってくれるものがない気がした…
何故なら……
人に助けを請わない娘だから😔
娘は私を映す鏡なのか……
意固地な私を映しているのか……
母として遠く離れ連絡も取れない
娘にしてあげられることはなんだろう
一生懸命考えた😔 。 o O
私がひとりで抱え込まず
楽しむ人生に転換できた時
娘の人生もまた…
安心で楽しくなるのではないか
そう考え始めた
力を抜いて鎧を脱いで
安全なところにゴールした時
娘もまたその世界に
自動的に誘えるのではないか…
「走れメロス」は
私の人生そのものだったように思う
私が走るのを辞めた時
娘もまた………🥹
違うかな……
いや きっとそうなはず…🤔💭
私は…走り続けることをやめ
静かに守りを固める仕事を決めた
映画「ショーシャンクの空に」
のシーンの中から🎥
(彼の頭の中の音楽は誰からも
取り上げられることは無い)
そうなのです😌
娘との思い出は
誰からも取り上げられることは無い
また…
私が必要な間 必要な季節
ずっと鮮明に私の頭の中に
生き続けてくれる……
もしかすると〜🥹
その為の産まれながらのハプニング⁉️
それは彼女が産まれた時に
私に与えてくれた
早く巣立つことを確信し
小さい頃から与えてくれた
宝物なのかもしれない
私自身が「走れメロス」だった…
ゴールに行き着いた
もう走る必要などどこにもない
私が走るのを辞めた時
遠い土地で娘もまた
安住への道に向かうと信じる……
全ては 私の頭の中にある映像が
現実化する……
そこまでたどり着いた全ての事に
感謝してやまない
娘との幸せな時間と
哀しみの思い出が…
こうして 人の子すら愛おしく思える…
本日2本目でありますが……
合掌( -_-)/Ωチーン