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自己肯定感という概念は要らないと思う私の見解

見解と言っても私は感覚の人なので論理的に説明するわけでは無いのですが

私は自己肯定感と聞くとみみっちい感覚してならないんですよね。

なんか自己肯定感という小さな枠の中に自分を入れて、定規で計ろうとしてる感。


はい、自己肯定感上がった、下がった、、💦


自己受容、自分の全てを受けとめる, 自己愛という方向で考える

そうなるように持っていくと。

自分こう言うところ、ああいうところそれが自分でダメだと、思ってしまう自分も丸々含めて自分を抱きしめる、自分を包む、方向で見ていくと暖かい感覚になります

私は自分を大きく包むような自己愛になるまでに、ただただ道を歩くそのプロセスなんだと考えています。

あー自分こう言うところこうだから自己肯定感が低いんだよねーとか。。

いちいち低い高いと、自分に偏差値つけるみたいにしてたら辛くないでしょうか?

自分で辛くなると思った概念は取っ払ってしまう事も出来ますよー⚡️

簡単なことではないかもしれない。
解かります。人それぞれ得意分野、苦手分野がありますから。

自己肯定感高くて満足と思ってるかたには関係のない話ですが。

外国の人は自己肯定感高いという話効きますが、私は少し違う見方をしています。

私はフランスに20年近く住んで色んな国の人達と交流してきましたが、自己肯定感という概念が無いのではないかという気がします。

勿論上記した私の視点からの話ですので、そう見えるのかもしれないですが、実際言葉すら聞いたこと在りません。自信を持ちたいという人は聞いことがあります。私もここ何年間、コロナで日本のYouTubeをみて初めて知った言葉です。 誰もが口を揃えて同じこというのは、日本の国民性。

こちらではその概念がなく、概念がないから楽ということもあります。

自己愛、自己表現が上手いということだと私は見ています。

私には 自己肯定感という言葉がどうもしっくり来ないので

もし辛いと思っているかた、もしピンときたら

その概念、思考それいると自問してみて試してみください。


それでは、ごきげんよう💫


























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