きみはさかな
教師としての私はニュートラルな第三者のやや子どもよりでありたいと思っている。
子どもの胸の内は黙して語られないことが多い。小さな身体にいつも無数の感情、いや感情になる前の可能態を抱えて子どもたちは生きている。
海外に住みながらフィジカルなインスティチュートで子どもと直接接しているのだが、子どもがドアを開けて入ってくる、こちらを見て挨拶をする(たまにしなかったりする)、教室へ入っていく、その身体行動を眺めていると、その日のその子の調子なんかが空気を伝ってくるものだ。そこへ加えてなるべく一言なんでもいいから話しかけるようにしている。「元気?」とか「髪切った?(タモリ)」とか、「新しいリュックサックだね」とか。その時に子どもが顔をこちらに向けるか、目を合わせるか、なんて返事をするか。そんな小さなものを一つ一つ拾い集め、私の中にある子ども毎の引き出しにせこせことしまっていく。
私が教師として国語教育を担っている9才~14才は個が大きく変化する年代だ。徐々に精神が自立を望むようになり、しかし一方で社会的には保護者の従属にあるというやりきれない矛盾が小さな体の中でぐつぐつと煮えている。彼らは必死に「自分は誰のものでもない(イモリ)」と主張するが、その声は届かない。この憤りがすなわち思春期である。思春期の子供たちは怒っている!
あるときふとSNSに流れてきた、とある小さな本屋の店主の言葉が目についた。
「本は若いうちに出来るだけたくさん読んだ方がいい。抵抗する力を養うこと。」
ああ私の読書の動機はまさにこれだったなと、不意に若い頃の記憶が蘇った。
本を読ませようとする親の下で私は、絶対に本を読まないという抵抗をずいぶん長く続けていた。そしてある時期から本を読むようになってからも、意識的にまたは無意識的に、読む本の種類で親に抵抗をした。すなわち親の好む国文学を拒否して海外の小説ばかりを読むようになった。フランツ・カフカ、ガルシア・マルケス、ヒョードル・ドストエフスキー、ギド・モーパッサン……。自分が生きているこの東京からできるだけ遠く遠く離れた物語を渇望した。「親が知らない物語しか読みたくない」という抵抗がいつもどこかにあった。そうして「親が侵入できない私」の領域を拡大していった。
大学時代は図書館に棲みついて片っ端から学科の専門領域の関連本を読み漁った。すくなくともその領域で読んだことのない本はない、と言えるまで。作田啓一、樋口聡、メルロ・ポンティ、フリードリッヒ・シラー、アンリ・ベルクソンにも挑戦した。両生類のように(イモリ)現実世界と本の世界を行ったり来たりした。勤勉だったのではない。眠り眼で授業を受けてはサークルや恋愛話に花を咲かせる学友の中に馴染むことができなったし、馴染みたくもなかった。マジョリティーに対する抵抗が私を本に向かわせた。
ものすごい進学校で休み時間にみんな本ばかり読んでいるような学校にかよっていたら、逆にゲーマーになっていたかもわからない。13才のとき恩師から受け取った言葉、「人と違うことをしろ」「二つの道に迷ったら多くの人が選択しない方を選べ」もまた、結果的に読書への導きに一助した。
幸か不幸か、令和時代のティーンエイジャーに読書は流行らない。だからこそ、そこの思春期中の、親や学校や社会やわけのわからない何かに怒っている若者よ、本を読んでみてごらん。きみのための言葉、きみのための理解者、きみのための物語がそこにきっと見つかるだろう。それが、お父さんお母さんや学校の先生や塾の先生やクラスメイトたち、社会そのものへの抵抗力になる。周囲はきみのことを全部わかっていると思っているかもしれないが、きみには読書という自分だけの秘密の世界がある。陸だけでいきている彼らとちがって、きみは本の中を泳ぐ魚だ。