海外国語倶楽部

日本国内での大学生の論文指導、海外での9歳から18歳までの国語指導の経験を生かして、 海外在住の9歳以上を対象とした国語サービスを提供しています。 ここでは、国語教育、趣味、日々の生活について、幅広いトピックでざっくばらんに記事を載せていこうと思います。 興味のある方はお気軽に☆

海外国語倶楽部

日本国内での大学生の論文指導、海外での9歳から18歳までの国語指導の経験を生かして、 海外在住の9歳以上を対象とした国語サービスを提供しています。 ここでは、国語教育、趣味、日々の生活について、幅広いトピックでざっくばらんに記事を載せていこうと思います。 興味のある方はお気軽に☆

最近の記事

ソーケーよりオーケー

先生「はい、じゃあちょっとした語彙のテストをするから、このプリントやってみてね。一枚終わったらちゃんこ鍋のように次を渡していくからね」 生徒A「先生、それはわんこそばです」 生徒B「わんこそばってなに? そばの中にわんこが入ってるの?」 生徒C「それホット・ドッグに犬が入ってるっていってるようなものよ。まったく。」 彼らは疲れている。35度を超える室内で過酷な夏期講座を終えた後に一息つくことさえ許されずに授業や模試をこなす日々が延々と続いている。なぜってこのクラスの生徒たち

    • 分かると分からないを分かつこと

       目下、夏期講習の渦中です。ハイ、海外の塾であっても夏期講習はあるのです。朝8時から授業がはじまります。教師も生徒も寝起きのむくんだ顔で校舎に集います。送り出す親御さんは何時に起きておられるのでしょう? 最も長い授業時間のクラスでは生徒は8時間滞在します。それが4週間続くわけですから、同士のような心持ちになってきます。「さようなら」をした数時間後には「おはよう」を言い、「もう週の真ん中だね」とか「昨日何時に寝た?」とか互いに励まし合いながら。  学習は筋トレに似ています。無

      • きみはさかな

         教師としての私はニュートラルな第三者のやや子どもよりでありたいと思っている。  子どもの胸の内は黙して語られないことが多い。小さな身体にいつも無数の感情、いや感情になる前の可能態を抱えて子どもたちは生きている。  海外に住みながらフィジカルなインスティチュートで子どもと直接接しているのだが、子どもがドアを開けて入ってくる、こちらを見て挨拶をする(たまにしなかったりする)、教室へ入っていく、その身体行動を眺めていると、その日のその子の調子なんかが空気を伝ってくるものだ。そこへ

        • 上手に紙ヒコーキが飛ぶために

          どうしたら上手に紙ヒコーキが飛ぶかを考えたい。 そのために、まずは「言語化」ということの話をしようと思います。 国語教育界隈にいるとよく聞く言葉ですから、これについて自分の意見を明かしておくことは一つ意味があることのように思います。 「言語化」という言葉はいつから使われるようになったのでしょうか。というのも「言語化」という言葉の日常的使用の歴史はそれほど古いものだとは思えません。自分の祖母や両親、恩師の口からこの言葉が発せられるのを耳にしたことはありませんし、私の過去の読

          読書は余暇です。

          読書というのは本来余暇です。読書したい人はすれば良いし、したくない人はしなければ良い。世界中の人類の中で読書する人口はわずか2%ほどだと、どこかで読んだことがあります。だから読書する方が珍しく、しない方が当たり前と言えます。 ところが現実的には、国語教育界隈では「読書のススメ」とか「どうしたら読書習慣が身につくか」とか、「国語力には読書が必須」などという言葉が古今に飛び交っていて、とにかく読書が「なにやら良きもの」として敬われる節があります。大人の側は子供が読書好きになって

          読書は余暇です。

          トルコ絨毯商人は魔法なしにそれを手に入れた

          さて、私は今イスタンブールのCihangirという地域にあるカフェの窓辺に座っています。イスタンブールにきて一週間が経ちました。4月初旬のイスタンブールは20度前後の晴天が続く、人間にとって最も気持ちの良い時期です。否人間だけでなく、野良猫や野良犬たちも気持ちよさそうに、あるいはただ暇を持て余して、日向ぼっこに明け暮れています。なにしろ坂道と野良犬猫が呆れるほど多いこの町。野良猫犬の快適さを競うオリンピックをしたらアテネかイスタンブールが優勝候補筆頭でしょう。アテネに行ったこ

          トルコ絨毯商人は魔法なしにそれを手に入れた

          走ることについて私の語ること

          タイトルは言わずもがな村上春樹引いてはレイモンド・カーヴァーからの引用だ。仮タイトルとして置いておき、いざ書き終えてみるとやっぱりこれしかなかった。 日常のルーティーンの中に「走る」という行為が組み込まれている人間であれば誰しもが「走ることについて」自分だけの語ることを持っている。私のそれも平凡で取るに足らないものだから興味を持つ人などいまいと思っている。2024年の現代、日常的にランニングをしている人などゴマンといるわけだし。ひと昔前だったら「一日10キロ走ってます」なん

          走ることについて私の語ること

          国語力というけれど

          国語力というのはわかりやすくはかることはできないものです。そういうものだ、それでいい、と基本的に私はそう思っています。 しかし曲がりなりにも国語教師という肩書をもって子どもや保護者と接していると、それだけで済ませるわけにはいかないですね。「国語力ってかんたんにはかれないものなんです。そういうものなので、そういうものとして受け止めてください」なんて言っても、腑に落ちない困惑の顔をされるか、期待が外れてがっかりされることは私にだって易く想像できるというものです。人様の喜ばしくな

          国語力というけれど

          倉俣史朗に学ぶモノ作りの態度

          美術館に出かけることが日本滞在の目的のひとつになっている。有難いことに実家の近所には優れた美術館が揃っており(あくまでの私の好みに合っているという点において)、それが日本滞在をより刺激的なものにしている。 昨年の目玉はなんといっても目黒区駒場にある日本民藝館で開催された「柳宗悦と朝鮮の工芸」だった。これほど興奮し没頭した展示は人生に何度あるだろう。決して有名でない市井の人々の手から生まれた私欲のない純粋な工芸がこうも温もりとユーモアに溢れていることか。そこで購入した大きなポス

          倉俣史朗に学ぶモノ作りの態度