今日ときめいた言葉254ー「ミドルエイジクライシス」(中年期に陥る心理的危機)
(2024年12月21日付朝日新聞 「中年期の心の危機 どう向き合う」がん研有明病院腫瘍精神科医 清水研氏の言葉)
今のあなたは「どんなにつらくても努力してがんばればできる」と思っている人だろうか。それとも「もうがんばれない」と自信を無くしている人だろうか。
孔子は、
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)
と自信に満ちた生き方を示しているけど、「四十にして迷わず」に生きている人はどのくらいいるだろうか。孔子の時代よりずっと複雑な現代の中年期の人々は心の危機に直面した時にどう向き合っているのだろうか。腫瘍精神科医の清水氏の言葉である。
「ユング心理学では、中年期は人生の正午にあたる。成長を感じられる青年期の午前から、老いや死に向かう午後に向かうときに危機を迎え、その後に価値観が大きく変わるという」
何故?それは青年期には体力、気力が充実して成長を実感でき、がんばれば成功して幸せになれると信じられた。だが中年期になると体力が衰えてきて思うようにいかなかったり、組織や社会の中で限界が見えたりして、努力が必ずしも報われない現実を知る。自分自身への信頼が衰え、生き方に行き詰まりを感じるようになるからだという。
中年期に経験するこのような肉体的変化や心の不安や葛藤ーミドルエイジクライシスーについて、清水氏は人間の心には「want〜したい」と「must〜しなければならない)の2つの相反する自分が存在しているからだという。wantは感情や感性が優位な自分。mustは躾や教育、社会規範などから作られた理性や論理が優位な自分。
要は、この2つの自分のバランスの問題なのだが、それがなかなかうまく調節できないところで陥るのがミドルエイジ・クライシスということである。
この状態に陥るとなかなか抜け出せず苦しみもがくことになる。そこで清水氏は3つの提案をしている。
①自分のwantとmustの声に耳を傾けてみよう。そしてこの2つを切り分けてみると葛藤がなぜ起こるかがわかり、気持ちが整理できる。
②mustが形成された理由・原因を自分の人生を振り返りながら突き止めよう。mustの正体がわかると、過去とは状況が異なるから現在はmustに縛られなくていいと感じられる。
①②を経てもmust思考の強い人は、その考えを手放すのが容易ではないことがあるという。そこで3つ目として
③「自分を許し、愛すること」を提言しているがこれがなかなか至難の業のようだ。いろいろな体験や感情の変化などを経てそのような境地に到達して、解放されたりすることがありそうだ。だから、
「カウンセリングを受けるのでも、人に話を聞いてもらうのでも、本を読むのでもいい。自分はダメだと思うのではなく、『厳しい状況や窮屈な生き方でも、よくここまでやってきた』と自分を認め、信じることから始めてみて」とアドバイスしている。そしてwant を大切にして生きることは、心のままに生きることであり豊かな人生を送る秘訣でもある。
後追いで自分の中年期はどうだったかしらと振り返る。思えば私の場合は、午前の時間つまり青年期の終わり頃ーに散々苦しんだから(昭和の時代の女の生き方とかね🤣)、中年期にはひたすらwantとmustを丸抱えで突き進んだ。特に日本に帰国してからの15、6年間は、がんの手術、仕事、子供の教育(と言っても教育費のこと。バブルがはじけた時代だったからね😮💨)と自分の大学院の論文などで大忙しで、みんなに起こる「更年期障害」は私には起きなかった。
私の選択や決断が良かったのか悪かったのか、いまだにわからないけど娘たちがそれぞれの家庭を築き楽しそうにやっているのをみて取り敢えずよしとしている(ただ私のエゴで娘たちの人生の方向性を決定してしまったことには、後ろめたい思いがある)