今日ときめいた旅218ー驚きと困惑の旅(ボストン篇 最終回)
ボストン市街お散歩
初めてみたアメリカの動物ーChipmunk( チップマンク)、Gopher (ゴーファー)、Blue jay(ブルージェイ )
チップマンクって、ディズニー映画の「チップ&デール」のように大きい動物かと思っていたら手のひらサイズの小さな動物だった。
ゴーファーはすばしっこくてカメラに収められなかった。いつも見たのは、もこもこしたお尻だけ。私が見たのは下のものよりもっと金茶色だった。
そしてブルージェイ。近所に沢山いた。
帰国前日は第一子の11歳の誕生日。お肉の好きな彼女の希望でチェーン店のSeason 52でステーキをいただく。
旅を振り返って
24日間のアメリカ滞在は終わりを告げた。今回は3人娘がコロナ禍の最中に引越しをし、新居を購入したのでその様子を見にいくことが第一目的だった。
それぞれの家に滞在し日常生活を共にしたら、彼女たちのストレスフルで凄まじい暮らしぶりを目撃することになった。
フルタイムで超忙しい仕事。今は在宅だがオンラインでしょっちゅう会議をしていた。朝は子供に朝食を作り上の3人の子たちをスクールバスのバス停まで送り、また迎えに行く。出社の時は渋滞を避けるために朝6時半に家を出る。それでも給食が出るので助かっているとか(二女のところはお弁当持参なので、結構負担だそうだ。住む州や地域が違うと色々なことが違うらしい)
第4子の保育園への送迎、さらにそれぞれの子供の習い事ー空手、ジムナスティック、フィールドホッケー、への送迎。夫婦でリレーのバトンタッチをするごとく自転車操業的状態である。オットが「うちの娘はみんな強いなあ」と漏らしたが、私もそう思う。アメリカという国は基本、自助の国だと思う。だから自分たちのライフプランニングをプロと考えて備えている。国を当てにしないマインドが身についている。
あのニューヨークで見た多数のホームレスと富裕層のギャップ。移民難民問題。我々の乗ったウーヴァーの運転手はみんなモンゴルからの移民とかミャンマーからの難民とかだった。こんな過酷な国でそこそこの生活レベルを維持するのは並大抵なことではないと思う。レストランでのチップは飲食代の15〜20%と跳ね上がっていたし、電車の食堂車で買ったコーヒーにだって、チップの金額が3通り提示されていた。アメリカ旅行で煩わしかったのはこのチップ制度である。
法律や規則、教育制度、税金など住む州や地域によって全く異なる。通りを一つ隔てただけで、生活レベル、教育レベル、不動産価値まで変わってしまう。家を買う時はまずその地区の教育レベルを考えるという。このような情報は不動産屋が持っているのだそうだ。例えば、スクールバスの料金は長女のところは無料だが二女のところはバカ高いそうだ。長女曰く、民主党系の地区は福利厚生が手厚いとか。
それと日本との違いを感じたのは、学校を休ませることへの抵抗感のなさ。長女一家とのメイン州・ニューハンプシャー州への旅行は金曜日からの2泊3日。子供たちは全員学校を休んだ。そう言えば日本に来る時だって10日間あまり休んで来ていた。
かつて私が勤めていた幼稚園から大学まである学校法人の小学校から高校には皆勤賞なるものがあって、それを取ることは名誉なことだった。そこの卒業生曰く、「熱があっても這ってでも学校に来た。出欠を取ったら早退した」とか。日本の学校には大抵皆勤賞があって、内申書上で有利に扱われるようである。
うん10年前ヨーロッパを電車で旅したときに乗り合わせた一家の母親が言っていた言葉を思い出す。「『学校の勉強も大切だけど、旅から学ぶ経験は計り知れないから』と担任の先生が言って許可してくれた」と。
今回の我々の旅行を楽しいものにしてくれた3人の娘たちに感謝したい。オットの「ナイアガラの滝とニューヨークに行きたい」の望みを叶えてくれたのは3人の娘たちの尽力のお陰である。特にナイアガラまでの往復18時間の運転をしてくれて、ホテルの予約からZip Lineなどのアトラクションの段取りまでしてくれた三女には感謝で一杯である。そして最後に、旅のパートナーのオットのさりげない気遣いにも感謝したい。もう街はハロウィンの飾り付けや商品の陳列が始まっていた。
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