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今日ときめいた言葉137ー「英語のアカウンタビリティーの訳は、『説明する責任』という意味で使うのは誤りです」
(タイトル写真は政治ドットコムから転載)
(2024年4月6日付 朝日新聞「政治家が果たすべき責任」政治学者 豊永郁子氏の言葉)
「アカウンタビリティーは情報を開示し、説明する義務があるだけでなく、責任を追及され、解任などの罰を与えられる立場にあることを意味します(「答責性」とも訳されます)
説明するだけでは許されず、結果責任も問われ、制裁もある厳しいものです。民主主義は、政権の国民に対するアカウンタビリティーを、選挙で国民が政権を解任できるようにすることによって実現しました」
やはり外国語の本議は、日本では正しく理解されていないのね。きっと「コンプライアンス」とか「ポリティカル コレクトネス」とか「ガバナンス」とかも結構曖昧なまま使っているのではなかろうか?曖昧なままが好きな国民だから。
日本語になっている「人権」や「表現の自由」「民主主義」でさえも、きっときちんと腹に落とし込んでいない。単にお題目として掲げるだけで、実現していると思い込んでいる。制度として選挙を実施しているが、それだけでは民主主義とは言えまい。社会には解決しなければならない問題ー差別や不平等が残っている。終わることのない課題に取り組み続けることも民主主義である。だから民主主義は達成すべき理念でもあるだろう。
ルソーの言葉「自由なのは選挙の時だけで、選挙が終われば奴隷に戻る
今の日本社会が言われているようだ。