今日ときめいた言葉223ー「学問は生活からしか生まれない」
経済学者 暉峻淑子(てるおか・いつこ)氏の言葉から。
(2024年10月7日付 朝日新聞)
「私は、具体的な事実の中に真理があり、人間の実感の中に本質があると思っています。それを尋ねるのが、私の生き方であり、私の学問でした。現実の生活からしか学問は生まれません」
「しかもね、若いときには数本しかなかった学問のアンテナが、いまでは数十本になっている。年を取れば取るほど、日常のあらゆることが考えるべきテーマとして感じ取れるのです」
(暉峻氏は96歳で「承認をひらく」という著書を出版している)
「長生きしているのは、なんでもプラスに考えるから。批判されても学びを見つけ、自分の糧にしてしまうので」
「これまでずっと頭にあったのは、長く生きた人間は最期に何を思うかということ。私の夢は、死ぬ時に最高の考えを持っていること。その時に何を考え、自分の人生を総括するのか。それが楽しみなんです」
私が暉峻氏と同じような年齢になった時に、果たしてこのような言葉が発せられるだろうか。老いてなお、自分の感性を研ぎ澄ませて日常を見つめ、そこで出会った出来事や言葉に心躍らせることができるだろうか。「日常のあらゆることが考えるべきテーマとして感じ取れる」だろうか。それとも、もはや自分への自省も自戒もなくなって、ただ死を待つ人間になっているだろうか。そうはなりたくはないと思いつつも、こればかりは如何ともし難い。結末が自分で書けたらと思うばかりだ。