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今日ときめいた言葉248ー「子供の権利条約」批准30年

(2024年12月10日付 朝日新聞 スクールソーシャルワーカー鴻巣麻里香氏の言葉から)

私の胸に刺さったのは、鴻巣氏が語った言葉である。彼女は昭和生まれであると前置きして、

「私たち大人は、権利が守られない時代を生きてきました。子どもの願いや思いは聞き入れられず、ルールを破れば叱られて終わりでした。そんな私たちは、無意識のうちに子どもの権利を侵害する恐れがあります。また、私たち大人は、権利侵害に意味を持たせることをしがちです。

『体罰のおかげで成長できた』と考えたり、仲間内で厳しさを振り返ることが心地よかったり』

苦しいですが、あれは権利侵害だったのだと認めましょう。そして子どもたちにそれをしないことを心がけましょう」

この言葉は、昭和という子ども時代を生きた私に向けられているようでドキッとした。だからそんな私は、子どもの権利に対する認識が感覚のレベルで醸成されていないかもしれない。頭ではいかようにも理解しているつもりでも、素の自分はどうだろうか。「自由」とか「平等」とか「公正」とかと同じで、息をするようにそれを実感し体験していく中で体得したものでないのでちょっと危うい。

鴻巣氏が見学した学校の人権教育では「いじめを防ぐのは、見逃さない勇気!」というメッセージだけが強調されていて驚いたと語っている。

「いじめは、生きる権利や教育を受ける権利、差別されない権利など、あらゆる子どもの権利が侵害されている状態です。権利を教える授業のはずが、そこを飛ばして、勇気や思いやりという道徳にすり替わっている」

「そうした感覚があるから、少数派の権利のためには多数派が思いやりで接すれば良いという認識が生まれてしまうのです。権利は何か特別なプラスアルファではなくて、私たちが生きる上で必ず守らなければならないものだと子供に伝える必要がありますし、大人自身も心得る必要があります」

インクルーシブやアカウンタビリティーなどがそうであるように、日本独自の解釈に陥ってはならないと思う。

子どもの権利の4原則は、

①差別の禁止
②子どもの最善の利益
③生命・生存および発達に対する権利
④子どもの意見の尊重

これらの中でも、あらゆるベースになるのは、子どもの意見の尊重だそうだ。