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今日ときめいた一冊154ー「人はどう死ぬのか」

この本を書いたのはお医者様です。外科医であり、終末期医療に取り組んだ後、外務省の医務官となってサウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニアの日本大使館で勤務されました。その後高齢者医療に携わり在宅医療の現場で長年勤務した方です。そこで経験した高齢者の実態や在宅での看取り、最期の迎え方について書いています(講談社現代新書 「人はどう死ぬか」久坂部羊)

この本を読んだ時、死というものをもっと実感を持って認識しなければならないと思いました。

人は人生で人の死に立ち会うのはせいぜい6回ぐらいだろうと言っていますー祖父母、両親、兄弟など。私の場合、祖父母の死は経験しましたが最期の看取りなどには立ち会っていません。父の時は確かに立ち会いましたがなぜか納得できない思いがいまだに残っています。この本を読んでそれがなんなのか分かったような気がしました。

その時私はマレーシアにいました。いよいよ危ないと言って電話が来て帰国しました。病院にたどり着いた時はもうモルヒネを大量に投与されていて意識はなく、予断を許さないとのことで病院で寝泊まりしました。3日目ぐらいだったでしょうか。呼吸が異常になったので医師を呼んだら、家族全員病室から出されました。電気ショックの機器を使ったようでした。それから間も無くして病室に呼び入れられ臨終を告げられたのです。私たちは父の息を引き取る瞬間に立ち会うことができませんでした。この時以来、最期の瞬間に立ち会えなかった悔いが残りました。

結論から言うとこの著者は、人生の最期は病院ではなく自宅で静かに迎えたほうが良いと言っています。病院というところは病人を死なせず生かそうとするところだからです。だから死期の迫った患者を病院に送り輸血だ、点滴だ、人工呼吸器だとチューブにつなぐことは、さらに患者を苦しめることになる。患者の体は拷問を受けるかのごとく悲鳴をあげていると言っています。

患者が下顎呼吸になったら何をしても助からないそうです。ですから患者自身も看取る側もその時をどうするのかきちんと話し合っておくべきであると言っています。ちょっと前までは人は自宅で死を迎えていたのに、いつのまにか病院で迎えるようになっていると言っています(亡くなる人の70%ほど)。でも自宅で穏やかに死を迎えることの方が断然いいと思えました。

ただし、この本には死後の処置の様子が詳細に書かれていて、それを行う看護師さんの働きを知ってすごい衝撃を受けました。これは医師であるご本人も知らなかったことらしく、感嘆されています。死んでからもこんなにも人の手を煩わせるのです。

まず遺体をきれいに拭き清めたあと、口や鼻に水分を吸わない生綿(きわた)を詰める。口は口腔だけでなく、割り箸を使って咽頭から食道の入り口あたりまで詰める。そうしないと胃液が逆流して口から洩れる危険があるそうです。口腔に詰める綿は左右対称に頬がふっくらするように詰める。逆に鼻孔に詰める綿は横に広げないように注意する。量が多いと豚のようになるそうです。そして化粧を施す。これで終わりではなく、ここからがすごい😱😱😱

看護師は、遺体の両脚を開き肛門に指を入れて便を掻き出す。この時、著者は「下腹部をぐっと押してください。残っている便を掻き出しますから」と言われて何度も直腸あたりを押したそうです。額から汗が滴り落ちるほど。その行為の凄惨さに「ここまでしなければいけないのかな」と訊ねたそうです。その時の看護師の返答です。

「ご遺体は、ご家族が見る最後の姿なんです。だから、お化粧もできるだけきれいにします。便が残っていると、あとで出てくることもあるんです。別れを惜しんでいる時に、不快な臭いがしたらだめでしょう。わたしは先輩ナースから、ご遺体に馬乗りになって腹を押せって教わりましたよ」(原文) 

すごいの一言。

「死に目に会う」という固定観念。誰しも死に目に会うということにこだわっていると思います。でも死に目より大事なのはそれまでの時間、普段のことだと言われています。下顎呼吸の患者は完全に意識が失われているため、今際の際で「頑張れ」とか「愛してる」とか騒ぎ立てても、患者には届かないそうです。大事なのは、日ごろから意思疎通をしておくこと。死に目に会えるのはかなり運にも左右されるそうで、だから会えなくてもいいという心の準備が必要だそうです。

父の最期が心残りだったのはこのことだと思いました。もっと話をしておくんだったという後悔です。

不都合な事実を伝えないメディアについて、苦言を呈しておられます。長寿社会の明るい側面ばかりを報じるが、実際高齢者医療はかなり悲惨だし長生きは考えものだと何度も思ったそうです。老いに伴う体の不調や苦しみを抱えながら生きながらえる時、「死ぬよりまし」と「死んだほうがまし」の差はそれほどないと感じると言っておられます。

ピンピンコロリと死にたいものだと誰もが願ってはいますが、それは安易な考えでどれもそれなりに苦しむそうです。ポックリ死の可能性があるのは、心筋梗塞、脳梗塞、クモ膜下出血などですが、どれもすぐ死ぬわけではなく意識があって激しい痛みを感じるそうです。そんな中でガンで死ぬことは一番人気のようです。ある程度の死期が分かり心の準備ができるというのがその理由のようです。

あれイヤ、これイヤの気持ちを捨てて、死に向かったらそのまま受け入れるのがいちばんだそうです。そして病院には行かず、痛みや苦しみを取る処置だけをしてもらう。「求めない力」を持つことを一遍の詩とともに薦めています。

『求めない』

求めないー
すると
いまじゅうぶんに持っていることに気づく

求めないー
すると
求めたときは
見えなかったものが
見えてくる

求めないー
すると
命の求めているのは別なものだ
と知る
(道教の思想家 加島祥造作)








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