虐待で自殺を考えた高校生が慶應に合格するまで④
前回↓
瀕死の努力
精神的な病を抱え、虐待してきた両親から身を隠しながら一日9時間も机に齧り付き、文理九科目で学年上位を取りつづけることは、非常に困難なことでした。
私の希望する指定校推薦の慶應文系枠を取るために、専門物理や化学、数Ⅲを履修しなければならないことも、その困難な状況の中で非常に無駄なことのように感じられました。
ですが、残されたひとつの道に賭けるしかない。
希死念慮(=死にたいと思う気持ち)を抱えフラフラしながらもゴールを見失わなかったから、なんとか期末試験で結果を残すことが出来ました。目安として考えた学年平均+20点を、多くの科目で達成したのです。
最終的な評定平均は4.8。
高校一年次にオール5を取っていたことが大きなアドバンテージになったとはいえ、病気を抱えた高2〜高3の努力は凄まじいと言っても過言ではないと、いま振り返ってもそう思います。
私の最終的に目指した慶應義塾大学法学部政治学科の一枠は、希望者が7人もいました。そのほとんどが文系クラスの者で、高1からずっと目指していた子もいました。私の友人もその一人でした。
ぽっと出の国立理系志望(→②、③参照)がその貴重な枠を掻っ攫うことは、非常に道理に反しているような気分でした。
ですが、背に腹はかえられない。
推薦希望者の評定の情報戦をくぐり抜けながらも、とうとう校内選考に通過することに成功したのです。
理系女子が文系のテーマの論文を書く
さて、校内選考に通過したら、次にやるべき事は出願資料の準備です。
記憶するかぎり書いた資料は、志望理由書など雑多な書類に加えて、先行研究をもとにして書く4,000字程度の小論文課題でした。
普通そういったものは学級担任が指導してくださいますが、理系クラスの担任は医学部の推薦や一般受験の指導で忙しい。だいいち文系のテーマの論文なんて、なんて指導したらいいかわからない。さあ困った。
そんな中、私の学級担任はできる限りを尽くしてたくさん指導してくださいました。加えて社会科目の教科担任、国語の教諭も、私の表現や学術的な正誤を評価して指導してくださいました。
本来であればやらなくてもいい筈の指導を、こんなにも丁寧にやってくれている。感謝すると同時に、またここでひとの温かさに触れたような気分でした。
お金を稼ごう
書類を準備したら、あとは合否を待つだけ。そうなったら、あとやるべきことは資金力をつけることでした。これは、病気を抱えながら遠く離れた神奈川(日吉)で生活していくため、また、虐待実家から早く自立するために必要なことでした。
精神疾患を抱えた疲れやすい体で、ファミレスのバイトを始めました。学校に通いながら一日四時間ほど働きました。冬休みに入ったら七時間ほど働く日もありました。体調は回復傾向であったとはいえ、少ない時給で月九万も稼いだのは我ながら一生懸命やったな、というところです。
バイト先の人間関係にも恵まれました。店長をはじめとする社員の方々は人格者だったし、先輩も後輩も皆親しみやすくて、わちゃわちゃしながら楽しく働くにはもってこいでした。
このとき稼いだ計30万ほどの貯金は、新生活で大いに役立ちました。後押ししてくださった全ての方に感謝せずにはいられません。
続きます、、