見出し画像

仲良し3人組と思ってた

ここ最近になってふと思い出した

21年の秘書時代の半分以上を一緒に過ごした2人の仲間がいた
私よりちょっとお姉さんの二人は確か同い年で、私が「繋ぎ役」で交流が始まった

2人とも「秘書歴」は大先輩で、社内でも評判の2人だった

知り合った時点の3人それぞれの上司が「同期」ということもあり、上司を交えての飲み会も定期的にあったり、上司抜きの女子会だったり3人のうちの2人で食事したり、遊んだりしていた

けれど、今はやり取りしていない

意図的に私が離れたからだ

その理由も何も告げずに一方的に連絡手段を断ってしまった


☆「寄り添う」という名の「他人軸」


急速に距離を縮めていった3人、どんな時も励まし合い支え合って来た(と思う)

私はある程度「我慢」できても、「ここぞ」という時にはたとえ相手が上司であっても「一言物申す」性格で、「嫌なものは嫌」という感じだが、他の2人はさすがベテランで「ネガティブなこと」は表にださず、仲間内で吐露して解消するタイプ

だから、3人なり2人の時に「ネガティブなこと」を聞くことになる
もちろん、私も時には「愚痴」をこぼすし、聞いてもらっていたので「お互い様」と寄り添っている気になっていた

特に2人のうちの1人Aさんは、「自分のことで上司を煩わせたくない」と、私なら「(自分ごとでも)上司に相談するけどな」ということを相談しない

何度も何度もその話を聞くうちに「なんとかしてあげたい」と私を含めて「周囲が動く(周囲を動かす)」ように自然となっていく

◆寄り添う(感情移入する)ことで「気分が悪くなる」

あまりに何度も何度も同じ愚痴を聞かされて、その度に「寄り添って(感情移入)」聞いているとこちらも気持ちが「嫌な気分」になっていく

それでとうとう

同じことを愚痴っても何も変わらないよ、見方を変えたら?

というと

「〇〇ちゃんだから言える(愚痴れる)のに」

と言われて、、、、、

◆「自分軸」ではなく「他人軸」だった

「他に他言しないという“信頼・信用“」があるから「〇〇ちゃんんだから言える」と言ってくれている

と思って、当時は彼女に向き合っていたが、聞くたびにAさんと同じように気分が悪くなっていた自分は「自分の感情」を「相手の感情」に持って行かれていた「他人軸」になっていたなぁと思う

それでも1つだけ救いだったのは

Aさんがその人をどんなに悪く言ったとしても、「片方の言い分だけで判断しない」でいられたこと(自分は何も迷惑も被害も被ってないし、、、逆に親切にしてもらってたりもするし)

そこまで「他人軸」になってしまったら、人付き合いが不自由になる

◆他人を変えることはできない

ましてや、Aさんがどんなにその人の「嫌なところ」を口にしても、その人が変わるわけじゃなし、「嫌なこと」を繰り返し口にするよりも「見方を変える」方が簡単で楽だ

もっというと、私自身が「愚痴を言う」Aさんの見方を変えていればよかったんだろうな

“自分が変われば、相手も変わる” から

とにかく、「他人の感情に自分の感情を持っていかれない」(自分軸でいること)は大事だなぁと過去を振り返る

ここから先は

3,807字

¥ 300

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?