ラヴェンナを訪れていることを恩師にメッセージしたら、「サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂へは行った?」と返事が来た 「行ってない」と返事をしたところ「ちょっと遠くだけど見るといいいよ 僕は留学時代に学校の遠足で行った」と
初のラヴェンナで「ダンテの墓参りができればいい」と思ってきたので、それ以外は「どこをどう見ていいか」など考えていなかったので行くことにした
でもその前にまずは「ダンテの墓参り」へ
☆ダンテの墓参り
ラヴェンナ駅側のサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂から街の中心へ向かっていく
街中にはちらほらダンテの絵の旗
「Zona Dantesca(ゾーナ・ダンテスカ/ダンテエリアということかな?)」と書かれている
途中見えた鮮やかな黄色の建物
◆Teatro Comunale Alighieri(エアトロ・コムナーレ・アリギエーリ/ダンテ・アリギエーリ劇場)
市立歌劇場、生涯最後の4年間をラヴェンナで過ごした「ダンテ・アリギエーリ」にちなんで「ダンテ・アリギエーリ劇場」と名付けられた
昼間なので人気はなく静かな佇まいだったが、オペラ・バレエ・演奏会などがしばしば催され、夜はまた別の表情を見せてくれるのだろう
◆Tomba di Dante(トンバ・ディ・ダンテ/ダンテの墓)
ダンテ劇場から少し行って左へ入っていく
通りの突き当たりに人だかりがある
そうここが「ダンテの墓」
イタリアでは国語の授業で必ず「ダンテの神曲」の一部分(ダンテの神曲は「地獄篇・煉獄篇・天国編」の3部あり、それぞれが33歌あり最初の1歌を加えて全部で100歌ある)を習うのだとか
ここにいる全員がイタリア人観光客ではないが、ヨーロッパの国なら私たち日本人よりも「ダンテの神曲」は身近なものだろうから、「ダンテの墓」も訪れようとなるのだろう ひっきりなしに拝観者が訪れていた
ダンテ・アリギエーリは1265年フィレンツェに生まれ、政治的な理由でフィレンツェを追放され1321年にラヴェンナで最後の時を迎えた 彼が生涯愛してやまなかった「ベアトリーチェ」と出会ったフィレンツェに最後まで帰れなかったのは無念だったろうなぁ
彼は詩人でもあり、政治家でもあったし、哲学者でもあった
「ダンテの神曲」を読むにつれ、彼がどれほどまでに「先見の明」を持っていて、1300年代に書かれた内容なのに古びてなくて現代に通ずる内容かということを感じた
また、まるで「宇宙理論」を知っているのではないかということが書かれていたのは、彼が天文学にも精通していたからだろう
このダンテの礼拝堂のあるフランチェスコ教会横の墓地に埋葬されていて、
1441年にヴェネツィアがラヴェンナを占領した際、1484年にダンテに敬意を表して礼拝堂を立てたが、現在の礼拝堂は1780年に建て替えられたもの
壁のレリーフは1484年建てられた礼拝堂にあったもので、当時ヴェネツィアで活躍していた「ピエトロ・ロンバルド」作のダンテ横顔の肖像
フィレンツェ出身の「偉大な詩人かつイタリア語の父」ダンテ
後世においてダンテの遺骨を故郷に戻したいとフィレンツェ政府が求めていたが、今なおラヴェンナの地で眠っているのにはラヴェンナの人たちの「ダンテへの強い思い」があってこそだろう
通りの名前が書かれたプレートの上、「ZONA DANTESCA-ZONA DEL SILENZIO(ダンテのエリア-沈黙のエリア)」と書かれたプレートにもラヴェンナの人たちのダンテへの敬意を感じずにはいられない
ダンテのエリアではダンテに敬意を表して静かに過ごしてください ということだ
◆Museo Dante(ムゼオ・ダンテ/ダンテ博物館)
無事、ダンテの墓参り(礼拝堂)できたので、すぐそばのダンテ博物館へ
と言っても、中庭が綺麗だったので回廊を回って終わり(笑
ボローニャでは曇天からの雨に見舞われたが、ラヴェンナはスッキリ秋晴れ
回廊のにはげんだのアーティストのモザイクが展示されていた
☆「サンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ聖堂」へ行く前に腹ごしらえ
時間はちょうどお昼時
恩師おすすめの「サンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ聖堂」はラヴェンナの中心から結構離れているのでその前にランチを済ませようということに
とりあえず、にぎやかな方へ行ってみる
Fontanella Piazza del Popolo(フォンタネッラ・ピアッツァ・デル・ポポロ/ポポロ広場)にでた 広場に面した日向のテラス席が気持ちよさそうだったので、こちらのお店にしようということになった
昼間のアルコールはなぜか優越感(笑 みんな働いてるのにごめんね〜って
まぁ、でもそれは日本だからか こっちの人は勤務中のランチでも飲む人は飲むもんね
⇨⇨次回へ続く